中尊寺(ちゅうそんじ)
奥州藤原氏初代清衡によって建立、国宝「金色堂」が往時の姿を今に伝える
中尊寺金色堂(覆堂)

所在地
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
宗派
天台宗東北大本山
山号
関山(かんざん)
本尊
阿弥陀如来(国宝)
開基
伝・円仁(慈覚大師)
札所
奥州三十三観音番外札所
文化財等
【国宝】 金色堂、金色堂堂内諸像及び天蓋他
【重要文化財】 金色堂旧覆堂他(重要文化財)
特別史跡
拝観
【拝観時間】 4月1日~11月10日 8:30~17:00 11月11日~3月31日 8:30~16:30
【拝観料金】 大人800円、高校生500円、中学生300円、小学生200円
概要
寺伝によると、嘉祥3年(850)、円仁(慈覚大師)が関山弘台寿院を開創したのがはじまりとされ、その後貞観元年(859)
清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったという。
12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する多宝搭や二階大搭など多くのを堂塔を造営した。その趣旨は、
前九年の役・後三年の役という長い戦乱で亡くなった人の霊をなぐさめ、仏国土を建設するものであった。
建武4年(1337)に大きな火災があり、金色堂を残してほぼ全焼してしまった。
近世に入ると伊達藩の庇護により、金色堂の改修や白山神社能舞台兼神楽殿などが再建され、東叡山寛永寺の末寺となった。
現況・感想等
中尊寺は、恐らく現在の東北地方では最も有名なお寺だろう。
中尊寺は、奥州藤原氏初代清衡が建立したという。そして2代基衡が、更に大規模な毛越寺の造立を進め、
3代秀衡が完成させた。秀衡は更に、無量光院を建立したという。
その中で、唯一残る建造物が金色堂だそうだが、これを見ただけでも往時の奥州藤原氏の栄華が偲ばれる。
私は、中尊寺には4~5回訪れているにも関わらず、何故か写真は、毎回、金色堂(勿論、外観だけ)と弁慶堂だけしか撮っていなくて、
他にはほとんど写真が残っていない(苦笑)
ギャラリー
境内案内図(現地案内板より)
金色堂
正確には、「金色堂を被う覆堂」と言うべきかも。金色堂は、
1965年建設の鉄筋コンクリート造の覆堂内にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断されているからだ。
堂内に金色のものが僅かに見える。金色堂は、天治元年(1124)奥州藤原氏・初代清衡により造営された中尊寺創建当初の唯一の遺構で、
須弥壇に藤原三代の遺骸が納められている。
弁慶堂
義経公と弁慶の木像が安置されている。
㊧芭蕉の句碑、㊨芭蕉像
㊧金色堂の脇に芭蕉の「五月雨の降のこしてや光堂」の句碑が立っている。
芭蕉が中尊寺を訪れた57年後の延享3年(1746)10月に建てられたものだそうで、何かお墓のような碑だ(苦笑)。
㊨「奥の細道」は、医王寺や鹽竈神社の章段で、
家臣を通して語られた義経追懐の情念や、岩沼や多賀城でつづられた古きものへの感動の陳述が、
この平泉の地で、高館と金色堂を舞台にして締めくくられる。
芭蕉は、門弟の曾良を連れ、義経の死から500年後、平泉を訪れ、高館に登り、
出来たばかりの義経堂を参詣し、茫然自失して夏草の山河をしばし眺め、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の句を残している。
高館義経堂に立つ「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の碑
