瑞巌寺(ずいがんじ)
伊達政宗が再建・造営した大寺院
国宝の庫裏
切妻造りの本瓦葺きで、屋根には入母屋造り本瓦葺きの大煙出しを載せ、
唐草の透かし彫り等名工の腕が冴えた庫裡の傑作といわれている。巨大さと妻飾りの彫刻、白壁と木組みのコントラストが美しく、
屋根には煙出しが見られる。

正式名称
松島青龍山瑞厳円福禅寺
別称
松島寺
所在地
宮城県宮城郡松島町松島字町内91、電話022-354-2023
宗派
臨済宗妙心寺派
本尊
聖観音菩薩像
開基
(伝)淳和天皇、円仁(開山)
【中興】 臨済改宗:北条時頼、法身性西(開山)
瑞巌寺竣工:伊達政宗、雲居希膺(開山)
文化財
【国宝】 本堂(御成玄関付属)、庫裏及び廊下
【重要文化財】 御成門・中門と太鼓塀など
拝観
【拝観時間】 午前8:00~1月午後3時30分、2月午後4時、3月午後4時30分、4月~9月午後5時、10月午後4時30分、
11月午後4時、12月午後3時30分
【拝観料金】 大人(高校生以上)700円、小人(小・中学生)400円
歴史等
平安の初めの天長5年(828)、比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・
堂衆とともに松島に来て寺を建立した。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って「延福寺」と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けた。
鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権北条時頼が法身性西和尚(俗名真壁平四郎)を開山とし「円福寺」と改称、建長寺派の禅寺に改めた。
円福寺は鎌倉幕府の庇護の下に大いに栄え、室町時代も五山十刹制度の緒山に位置づけられ、末寺を作り発展した。
しかし、戦国時代に寺勢は衰え、その末期に妙心寺派に属した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、
塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させた。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業で、檜・杉・欅の良材を紀州熊野山中に求め、京都・根来の名工を集め、慶長9年(1604年)、
政宗自ら縄張りを行って始まった。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609)に完成した。そして、伊達家の厚い庇護を受け、
瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇った。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、
零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになった。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力によりようやく維持されていたが、明治9年、
天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となった。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されいる。
『「パンフレット」、「瑞厳寺公式ホームページ」等より』
現況・感想等
瑞厳寺は、観光で仙台方面へ行けば、松島とのセットで必ず立ち寄る寺院であろう。
国宝の本堂や庫裏も見応えがあるが、杉木立の鬱蒼とした参道と、崖際の静寂かつ厳粛な雰囲気のある修行僧が生活した場所、洞窟、石碑、石塔、
石像群が印象的だ。
一方、松島は言わずと知れた日本三景の一つである。40年近く前に、初めて見た時は、さすが、素晴らしい景勝地だと感激した。
しかし、長崎在住時代に九十九島を見てからは・・・?それと較べると、水も汚いし・・・。あまりにも有名すぎて、
俗っぽくなってしまうのかな?
ギャラリー
本堂(国宝)
京都・根来の大工衆が技を競った本堂は、院造り入母屋造本瓦葺で、三方に上縁、下縁を廻らし、室中孔雀の間、
仏間、上段の間。上々段の間など10室の部屋で構成されている。正面の幅は39m、奥行き25.2mある。
本堂へと続く参道
㊧江戸時代には道の左右に13の塔頭が並んでいたというが、
今は鬱蒼とした杉木立の参道を本堂へ向かい歩いて行くと、㊨中門へ出る。

御成門・中門と太鼓塀
御成門(左)は、入母屋造本瓦葺の薬医門。中門(右)は、切妻造、こけら葺きの四脚門。
洞窟群

松島
40年ほど前に、初めて見たときには、さすが日本三景の一つだと感激したものだが、
長崎佐世保の九十九島と較べると・・・?

五大堂
松島で忘れてはいけないのが、この五大堂。大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征のおり、
毘沙門堂を建立したのが最初で、後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、大聖不動明王を中心に、左右降三世、軍荼利、大威徳、
金剛夜叉の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれている。

