立石寺(りっしゃくじ)

比叡山の中興の祖・円仁(慈覚大師)が開山したと伝わる山寺、芭蕉も訪れ句を詠んでいる

山麓から五大堂と開山堂を仰ぎ見る
㊧山麓から見上げると、奇岩だらけの断崖に、五大堂や開山堂等々の堂宇がそそり立つ様は偉容を誇り、 誰しも一度は訪れたいと思うだろう。岩の上の一番高い所にある建物は五大堂、その右手が開山堂。
㊨しかし、何とも下手糞で頼りない(失礼!)ご朱印の文字は有難味が半減する(苦笑)。
 

正式名称

宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)

別称

山寺(やまでら)

所在地

山形市大字山寺4456-1

宗派

天台宗

山号

宝珠山

本尊

薬師如来

開基

伝円仁(慈覚大師)

札所等

最上三十三観音2番

文化財等

【重要文化財】
立石寺中堂(根本中堂)、立石寺三重小塔、木造薬師如来坐像、木造慈覚大師頭部・木棺、天養元年如法経所碑
【名勝・史跡】
山寺(1932年3月25日に国の史跡・名勝に指定)

拝観

【拝観時間】 8:00~17:00(年中無休)
【拝観料金】 300円

撮影日

2001/05/01
2008/11/29

歴史等

立石寺の創建については諸説あるが、寺伝では貞観2年(860)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
慈覚大師は比叡山の中興の祖と云われる偉大な僧で、天台宗を広めるために東北各地に多くの寺を開山したという。 その中には立石寺をはじめ松島の瑞巌寺、 岩手県平泉の中尊寺 毛越寺、青森県恐山 (円通寺)などがある。
鎌倉時代に入ると幕府から庇護を受け関東御祈祷所に指定されるなど、中央からも信仰の対象となり、羽州探題の斯波氏(最上氏) など歴代領主からも厚く庇護され、東北仏教界の中枢をなして、3百余の寺坊に1千余名の修行者が居住、盛況を極めた。
戦国時代には、天童氏から焼き討ちにあうなど何度も兵火に遭い、一時衰退したが、江戸時代には、御朱印2,800石を賜り、再び隆盛を見、 宗教文化の殿堂を築き上げた。
元禄2年(1689)5月27日(現7月13日)には、松尾芭蕉が「奥の細道」行脚の際、この地へ訪れ、有名な 「静かさや 岩に染み入る 蝉の声」を詠っている。
『現地説明板等参照』

現況・感想等

立石寺といえば「山寺」の名で親しまれ、松尾芭蕉が「奥の細道」行脚の際、この地へ訪れ、「静かさや 岩に染み入る 蝉の声」 と詠っていることで有名だ。
山麓から見上げると、奇岩だらけの断崖に、堂宇や支院がそそり立つ様は偉容を誇り、誰しも一度は訪れたいと思うだろう。
なかなか、登りがいのある山で、整備の行き届いた1,000段強の石段を40分余り掛けて、 芭蕉になったつもりで登ってみるのもおつなものだ!?

ギャラリー

山寺駅
山寺の玄関口にふさわしく、寺社造りの駅舎を有するとして、2002年(平成14年)、 東北の駅百選に選定された。

山麓から山寺の山容を
駅を出て立谷川に架かる宝珠橋を渡ると奇岩だらけの断崖に、堂宇や支院がそそり立つ山容が見える。 左の岩の上の一番高い所にある建物は五大堂、その右手が開山堂である。右側の岩の上には釈迦堂が、

㊧登山口、㊨根本中堂
登山口の石段を上れば正面が根本中堂である。根本中堂は、初代山形城主・斯波兼頼により延文元年(1356) に再建された。ブナ材建築では日本最古の建築物といわれる。
 

芭蕉(奥)と曽良(手前)の像
根本中堂から進んで行くと、芭蕉と曽良の像がある。

山門
山門は、鎌倉時代末期の建立と伝えられ、「開北霊窟」の扁額を掲げる。立石寺は、創建以来、 度々火難に遭ったが、根本中堂と山門だけはそのままに残され現在に至っている。ここで拝観料を納める。大仏殿のある奥の院までは1, 000段余の石段を登る。 

仁王門
奥之院までの中間点にある入母屋の単層門である。嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、 左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作といわれる。

開山堂(中央)と納経堂(左)
約40分、階段を登ると、もっとも山寺らしい光景が目の前に現われる。中央が開山堂、左が納経堂、 右の岩陰から少しのぞいているのが五大堂である。
開山堂は慈覚大師の御廟で、慈覚大師の木像を安置する。「常香」が1100有余年絶えることなく今日もなお香煙を遷わしている。 左の岩上に立つ小さなお堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物で重要文化財。開山堂の右手を上がると、 山寺随一の展望台の五大堂がある。

性相院ほか山壁に展開する寺院
山内支院江戸時代までは、12の塔中支院があり、多くの僧が修行に励んでいた。今は性相院・金乗院・中性院・ 華蔵院の4つの院が、その面影を残している。修行の岩場正面の岩に巌をかさねた岩場は、釈迦が峰といい、 今では修行者以外の登山を禁じている。
性相院は、本尊として慈覚大師が自ら彫った丈30cm余りの阿弥陀如来を安置するほか、運慶作の毘沙門天を安置。 仙台藩祖伊達政宗の生母の日牌(にっぱい。位牌を安置して供養)所。明治維新後に、極楽院と澤之院を合併吸収。
 

胎内堂
金乗院の前庭から山側を眺めると、深い谷の上に鉄製の橋が架かっていて、その先に岩穴がある。ここが 「胎内くぐり」と言われるところで、かつては、穴を数m這って胎内堂に出ることができ、 岩穴の右側にあった10段ほどの階段を登って胎内堂に辿ることもできたというが、怖くて、とても行こうなどとは思わない(苦笑)。

奥の院(如法堂)
奥の院は通称で、正しくは如法堂という。明治4年火災にかかり翌5年優田和尚が再建した。 本尊は慈覚大師が国々を巡錫される時、いつも背に負うていられた三国伝来の釈迦牟尼仏と、多宝如来の座像で、左右には多聞天、持国天、 それに三十三番神、十羅刹女を安置する。奥の院に付設し平成3年に大仏殿(左)が建てられた。
 

三重小搭
華蔵院の手前に岩窟の中にすっぽりと納められた三重小塔がある。塔銘により、十穀静允の作で静運が寄進、 建立が永正16年(1519)6月であることが知られる。この塔は、相輪頂までの高さが2.4m余りという全国で最も小さいもので、 昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定された。

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