真弓山観世寺(まゆみさんかんぜじ)

歌舞伎・謡曲「黒塚」で有名な鬼婆伝説の安達ケ原にある霊場

観世寺山門
 

所在地

二本松市安達ヶ原4丁目126番地、電話0243-22-0797

宗派

天台宗

山号

真弓山

本尊

阿弥陀如来
(僧・行基による秘仏・白真弓如意輪観音像は、60年に一度のご開帳)

開基

伝・阿闍梨祐慶東光坊(あじゃりゆうけいとうこうぼう)

札所

安達三十三観音霊場第14番札所

拝観

【拝観料金】 大人400円、子供200円

概要

歌舞伎や歌曲でも有名な黒塚である。ここ安達ヶ原の「鬼婆」は、その名を「岩手」といい、京都のある公卿屋敷の乳母であった。 永年手塩にかけて育てた姫の病気を治したい一心から、「妊婦の生肝を飲ませれば治る。」という易者の言葉を信じ、遠くみちのくに旅立ち、 たどりついた場所が、この安達ヶ原の岩屋だった。
木枯しの吹く晩秋の夕暮れどき、伊駒之助・恋衣と名のる若夫婦が一夜の宿をこうたが、その夜、身ごもっていた恋衣がにわかに産気づき、 伊駒之助は薬を求めに出ていった。老婆「岩手」は、待ちに待った人間の「生肝」を取るのはこの時とばかり、出刃包丁をふるって、 苦しむ恋衣の腹を裂き「生肝」を取ったが、苦しい息の下から「私達は小さい時京都で別れた母を探し歩いているのです。」 と語った恋衣の言葉を思い出し持っていたお守袋を見てびっくり。
これこそ昔別れた自分のいとしい娘であることがわかり、気が狂い鬼と化してしまったという。以来、宿を求めた旅人を殺し、生血を吸い、 肉を食らいいつとはなしに「安達ヶ原の鬼婆」といわれるようになり、全国にその名が知れ渡った。
数年後、紀州熊野の僧「阿闍梨祐慶東光坊」が安達ヶ原を訪れ部屋の秘密を知り逃げた。老婆すさまじい剣幕で追いかけてくる。 東光坊今はこれまでと、 安座す如意輪観音の笈をおろし祈願するや尊像は虚空はるかに舞い上って一大光明を放ち白真弓で鬼婆を射殺してしまったという。
そしてその後、東光坊の威光は後世に伝わり、 この灼かな白真弓如意輪観音の功徳甚深なる利生霊験は奥州仏法霊場の"随一"と称する天台宗の古刹となり1260年の今日まで赫々の名を残したのであります。
『パンフレットより』

現況・感想等

鬼婆伝説「黒塚」は何とも薄気味悪い話だ。
さらに、境内には、やたらと多くの巨岩(奇岩といった方が適切かも)があり、その中に鬼婆の住家であった岩屋、出刃包丁を洗った血の池等が、 今なお残って?おり、それが薄気味悪さを増している。
宝物館には1260年前に鬼婆が使用したという出刃包丁や祐慶の用いたという錫、杖などの遺品が展示され、縁起の説明が流れている。
また、寺の近くを流れる阿武隈川の堤防近くに立っている大きな杉の木の下には鬼婆が倒され、埋葬されたという黒塚がある。
まあ、これらのどこまでが事実かは分からないが・・・(苦笑)。

ギャラリー

観世寺本堂
背後の五重塔は寺に関係無く、展示施設「安達ケ原ふるさと村」のシンボルタワー。

鬼婆の住家と言われる岩屋(笠岩)

出刃洗の池

鬼婆供養石

正岡子規句碑
松尾芭蕉や正岡子規も訪れたといわれ「参詣の地」の案内板(写真左)が立ち、子規が詠んだ”涼しさや、 聞けば昔は鬼の家”の句碑(写真右)が建てられている。芭蕉は、黒塚については「黒塚の岩屋一見し」とわずか8文字の記述にとどめただけだ。

鬼婆を埋めた黒塚
観世寺から100mほど離れた、阿武隈川の方へ歩いて行くと堤防の下に大きな杉の木が。 それが鬼婆を埋めたという黒塚で、平兼盛の詠んだ有名な”みちのくの、安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと、聞くはまことか” の句碑が建立されている。
 

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