2010/09/13(月)

パーク・イン・ワイマール(ワイマール)→ワイマール(マルクト広場、ゲーテハウス他)→バンベルク(大聖堂、新宮殿、旧宮殿他)→ローテンブルク着→ローテンブルク観光→夕食→ホテル・ゴールドナー・ヒルシュ(ローテンブルク)泊

【ワイマール】
今日の予定はワイマール観光からです。ワイマール公国は、ザクセンから分裂した小さな国でした。日本では、一般に「ワイマール」と呼びますが、ドイツ語読みからすれば 「ヴァイマール」が正しいようです。
そして、ワイマールと言えば、やはり「ゲーテ」です。フランクフルト生まれのゲーテは、1775年、26歳の時に、ワイマール公カール・ アウグストにワイマール公国に招聘され、ブレーンとして1832年に没するまでの50年以上、ここで一生を暮らすことになります。従って、ワーマールはゲーテゆかりの地を中心に観光です。
まず、最初に国民劇場前のゲーテとシラーの像を見てから、シラーの家、ゲーテの家、ゲーテの愛人の家、イルム公園(ゲーテの山荘、リスト像、シェークスピア像)、マルクト広場という順に見学していきました。しかし、詩に全く興味のない私にとっては、当然、ゲーテにも興味はなく、ただただツアーの添乗員について行くだけです。


(国民劇場とゲーテとシラーの像)
国民劇場(Nationaltheater)の前で手を取り合って立つ像は、ゲーテとシラーの像で、 1857年の作です。国民劇場は、シラーの「ウイリアム・テル」やゲーテの「ファウスト」、ワグナーの「ローエングリン」などが初演され、 リストやシューマン、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスもここで活躍しました。劇場は何度か焼失し、現在の姿となったのは1907年のこと。 その後1919年にワイマール憲法がこの劇場で採択されるなど、ワイマールの芸術と政治の舞台として、重要な役割を果たしてきました。
1国民劇場とゲーテとシラー

(シラーの家)
ゲーテの招きでワイマールにやって来たシラーが、1802年から亡くなる1805年まで住んだ家で、ゲーテの家と較べるとかなり質素です。ここで、 有名な「ウイリアム・テル」を執筆しました。
3シラーハウス

(ゲーテの家)
1775年ワイマール公カール・アウグストに招かれた26歳のゲーテは、この町に移り住み宰相となります。 1832年、82歳のゲーテは、ここで有名な『もっと光を』の言葉を残し世を去りました。この家は現在ゲーテ資料館になっていて、「ファウスト」 を執筆した部屋、最期をむかえた部屋などを見学することができますが、今回のツアーでは外観見学のみでした。
5ゲーテハウス

(ゲーテの愛人「シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人の館」)
公国の役人の妻で才色兼備のシャルロッテ・フォン・シュタインらとの交際で、ゲーテの知的生活は、 ますます広がりをもつことになりました。彼女の存在は、ゲーテのほかシラー、ヘルダーなど同時代のヴァイマルの文人たちに大きな影響を与えました。 彼女自身も文人として知られていました。1775年、ゲーテがカール・アウグスト公の導きによりワイマールを訪れ、 程なくして彼女を知ることになります。ゲーテはたちまち彼女の虜になり、シュタイン夫人と親密に交わるようになりました。 ゲーテは多くの詩や手紙などを彼女に送り続けていました。シュタイン夫人との交流はゲーテを人間的にも成長させ、 かつ文学的にはゲーテを古典主義へと導く重要な要素となっていった。当時の倫理観ってどうだったのですかねえ?
7ゲーテの愛人の館

(イルム公園)
ワイマール市街の少しはずれ、イルム川ほとりに森が茂り、崩れた城跡や塔などが佇むイルム河畔公園があり、散策路があります。この広大な公園はゲーテが造園した公園で、元々はワイマール公の猟場でした。公園内には、ゲーテの山荘やリスト像、シェークスピア像やリスト博物館などがあります。
(ゲーテの山荘)
イルム川沿いの広大な緑地(イルム公園)の中にポツンと見える、白い可愛い家がゲーテの山荘ですが、この山荘ははカール・アウグスト大公からゲーテに下賜されたものです。
11ゲーテの山荘2

(塔と城壁)
公園内では、城壁や塔が目につきますが、城跡にも館の跡にも見えます。公園を設計したゲーテは、「訪れる人が散歩を楽しみながら自由な創作に想いをめぐらせ、思索できるように」というのがそのテーマで、こうした城壁や森、小道の風景は、人々がインスピレーションを生み出すための手助けをするために公園の一部として敢えて造られたのだそうです。
13城壁

14城壁

(リスト像)
1848年、リストはかつてより交流があったワイマールの宮廷楽団の常任楽長に就任し、ワイマールに定住することを決意します。ワイマール大公はワイマールを文化の中心都市として繁栄させたかったため、リストの定住は歓迎されました。リストはかつてゲーテ、シラーが担ったワイマール文化の中心人物としての役割を引き受けることになります。
16リスト像

(シェイクスピア像)
18シェークスピア像

ワイマール宮殿
一方、今回のツアーにワイマール宮殿(現美術館)への入城予定はなく、マルクト市場での僅かな自由時間を利用して、何とか写真だけ撮ってきただけです(苦笑)。
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【バンベルク】
ワイマール観光後はバンベルクへ。バンベルクは、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリッヒ2世が開いた町で、真ん中をレグニッツ川が流れ、川を境に丘地区(山の手町) と島地区(中ノ島町)に分かれています。
丘地区には、大聖堂、旧宮殿新宮殿、聖ミヒャエル僧院など立派な建築物が聳え、 見どころたっぷりです。そして、新宮殿のバラ園とそこから見下ろすバンベルクの町並みの光景は素晴らしいです。
【丘地区】
(大聖堂)
1237年に完成した四本の巨大な尖塔を持つ大聖堂は、ドイツでも指折りの文化遺産で、町のシンボルです。 
大聖堂

旧宮殿
皇帝と領主司教の王宮であった旧宮殿は、その昔は大聖堂と直結していたという。
旧宮殿

新宮殿
新宮殿の外観は、巨大ですが、私には何の変哲もない無愛想な建物にしか見えません(失礼)。
新宮殿

(新宮殿のバラ園)
周囲を菩提樹が取り囲む見事なバラ園には、4500本(48種類)のバラが咲いています。
バラ園

(バラ園とミヒャエル教会)
バラもきれいですが、ミヒャエル教会とのコラボがいいですね(^-^)。
バラ園とミヒャエル教会

(バラ園からの眺望)
バラ園の北東部から見下ろすバンベルク旧市街の眺望が、これまた見事です(^-^)。
バラ園からの眺望

丘地区を見学後、昼食(ビーフ料理です)
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【島地区】
バンベルクの見どころは、やはりレグニッツ川の中洲に建つ旧市庁舎を中心とする島地区の中世のたたずまいが残る光景でしょう。水量豊富な上、流れの速いレグニッツ川と仲良く共存している町並みの入り組んだ小路を散策するのは本当に楽しく、「小ヴェニス」と呼ばれるに相応しい光景です(^-^)。 次回、ドイツへ来ることがあったら、一泊してたっぷり時間を掛けて見て廻りたいものです。
(旧市庁舎)
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(レグニッツ川の中洲に建つ旧市庁舎)
旧市庁舎が川の中州に建てられた理由は、伝説では「市庁舎が宗教区に建設されるのを司教が拒否したため、 レグニッツ川の中に杭を打ち込み人工の島を造った。この場所は旧支配者・司教の宗教区と市民の山の手区の境界でもあったので、 権力を持つ市民が名誉を誇示した。」という。
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(旧市庁舎の壁面)
旧市庁舎の壁面には18世紀に描かれたフレスコ画があり、騙し画法による立体感がある。また実際に、 壁画の下の方に天使の足(矢印)がユーモラスに伸びているのが見える(笑)。
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(小ヴェニス)
旧市庁舎の先が「小ヴェニス地区(Klein Venedig)」である。漁師達の家が連なっており、 ベランダには緑が映えて美しい。
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(水の上に、家・家・家・・・w(*゚o゚*)w)
旧市庁舎からレグニッツ川を南東部へ来ると、急流の中に、 こんな物凄く迫力のある光景がw(*゚o゚*)w。まるで、家の形をした船のようでかっこいいです。
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ローテンブルク
そして、次に向かったのは、いよいよローテンブルクです。
(ローテンブルク旧市街図)
ローテンブルク地図 

ローテンブルクは、中世の面影を残す街は「中世の宝石箱」と称されるそうで、その街の周囲を囲む城壁が良好に残り、その城壁の上を歩いて廻ることもできます。
一旦、ホテルへチェックイン。ラッキーなことに、ホテルは旧市街の中心のプレーンラインのすぐ近くでした。
(プレーンライン・Plönlein)
プレーンラインは首の付け根辺りになります。ローテンブルクでも有名な一角です。ここは第2次城壁建設工事の際に自然とできた「小さな場所」を意味します。左に見える搭は、「ジーバー搭」で右に見える搭は「コーボルツェラー門」です。
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(ブルクガルデン地区)
そして、その後観光です。ただ、今日は既に夕方でもあり、街の西方のブルクガルテン地区だけを見学です。ブルクガルテンは、970年頃にローテンブルク伯が初めて城を築いた所であり、ローテンブルク発祥の地です。曲流するタウバー川の深い谷に三方を囲まれた高台で、城を築くにはもってこいの場所で、夕日に輝く城壁の光景が綺麗なんだとか。
 (ブルクガルテンからシュピタール地区を望む)
ブルクガルテンの南側の胸壁からシュピタール地区を眺めると、たくさんの搭を備えた城壁や赤い屋根の家並みが拡がる。また、その下のタウバー渓谷ともコントラストも素晴らしい。
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(ブルクガルテンからタウバー渓谷を見下ろす)
タウバー渓谷を見下ろすと、緑の中の二重橋「ドッペル・ブリュッケ」と赤い屋根の光景が見えます。
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ブルクガルテンからの光景を見たあと、ブルク門をくぐりヘルンガッセ(旦那通り)を歩いてマルクト広場へ到着。
(ブルク門)
ブルクガルテンから市内へ入る所にあるブルク門は、第1次城壁の時代からの生き残りであり、14世紀に一度改築され、高い塔が付け足されたとはいえ、当市では最古の門です。昔は、ブルクガルテンとの間に堀があり、はね橋が設けられていたという。
ブルク門

(ヘルンガッセ)
ブルク門とマルクト広場を結んでいる広い通りがヘルンガッセ(旦那衆通り)です。10世紀にローテンブルク伯の城下に商人が集まりはじめた頃に、この一本道が中心になって人家が増えていきました。商人の町という観点からいえば、この一本道こそが、ローテンブルクの発祥の地であり、生え抜きの老舗はたいていこの通りに居を構えていました。また、あとから来て成功した者も、何とかしてこの通りに家を買い求め、老舗の旦那衆の仲間入りをしたいと思ったことでしょう。
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(マルクト広場)
旧市街の中心であり、市庁舎やマイスタートゥルンクのからくり時計を有する市参事宴会場(Ratstrinkstube)がある広場で、他にもザンクトゲオルク教会、聖ヤコブ教会、1488年建設のヤークストハイマーハウス、1596年建設のバイマイスターハウス、世界的に有名なクリスマス専門店ケーテウォルファルトなど、ローテンブルクの見どころ、観光名所が集中しています。
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マルクト広場へ到着後、自由に旧市街を散策。ローテンブルク旧市街にはオシャレで可愛い店が建ち並び、ショーウィンドウや店先に吊るされた鍛鉄製の飾り看板(アウスレーガー)を見て歩くのも楽しいですよ。 女性に人気があるのも納得です。
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【アウスレーガー(Ausleger)】
ドイツの街には、店先に吊るされた鍛鉄製の飾り看板(アウスレーガー)が多いが、ローテンブルクは特に多く、それを見て歩くのも楽しいものです(^-^)。
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夜はレストランでチキン料理でしたが、「ホワイトアスパラ」が出たので、皆さん満足です。
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尚、私は旅行中に誕生日を迎えたということで、主催のJTB社からワイングラス(右手前のグラス)をプレゼントをしてもらいました。
そして、ビールだけでなく、折角、ローテンブルクへ来ているのだからフランケンワインも飲みました。
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食後は、有名な市参事宴会場の「からくり時計」を見学。
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その後、夜の街を散策しながらホテルへ戻りました。夜の店のショーウィンドウは、これまたなかなかでした。
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(夜のプレーンライン)
宿泊ホテルがプレーンラインのすぐ近くだったので写真に収めたのですが、幻想的でなかなかです。
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そして、明日の城壁周遊と旧市街散策を楽しみにおやすみ(^-^)。
尚、ローテンブルクについて詳しくは「タクジローの日本全国お城めぐり」のなかの「ローテンブルク」を是非参照下さい。

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