2016/5/20(金)

 

7:40アルベロベッロ(トゥルッリ)8:20→コッレ・デル・ソル(アルベロベッロ)→10:15マテーラ(マテーラ散策・昼食)12:30→15:50ポンペイ(ポンペイ遺跡観光)17:50→18:50ナポリ(スイート&レジデンスホテル)


【アルベロベッロ(トゥルッリ)】

白壁に円錐形の石積み屋根を載せた家(トゥルッロ、複数形がトゥルッリ)が建ち並ぶ地区は、静かな別荘地のようなところですが、町の起原は、17世紀ナポリ王に支払う住居税が高かったので、この地方を治めていたコンヴェルサーノ伯ジャンジローラモ2世は、家を取り壊してしまえば税金がかからないと考え、農民が家を建てるときにはセメントを使わずに石だけを使って家を建てるように命じました。そうすれば、査察使が来た時には簡単に屋根を取り壊せると考えたというのです。要するに、元々は税金から逃れるための建築法だったというのです。
ユネスコによると、アイア・ピッコラ地区には1,030軒、モンティ地区には590軒のトゥルッリが現存するのだそうです。
(アイア・ピッコラ地区からモンティ地区のトゥルッリを望む)
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【アルベルベッロ、アイア・ピッコラ地区散策】
朝7時前に起床し、窓の外を見ると本格的な雨です(;>_<;)。
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しかし、朝食前の7時半頃に、その雨の中をトゥルッリが建ち並ぶアイア・ピッコラ地区散策に出掛けるというので参加しました。
昨夜、訪れたモンティ地区と違い観光向けの土産物屋もなく落ち着いた雰囲気の住宅地ですが、トゥルッリが密集しており、テレビでよく見た童話(おとぎの国?)の中の世界のような風景です。
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尚、トゥルッリの屋根の石は古くなり黒くなってきたら、新しい石に張り替え修復するそうで、黒っぽいのと真新しい色のものが入り混じっています。
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また、屋根に何かのマークなどが描かれているのも目にしますが、単なる飾りかと思いきや、これは魔除けなんだそうです。
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尚、朝の散策は自由参加の上、ツアーの案内には、「時刻が朝、交通機関がバスで世界遺産アルベロベッロ観光(約1時間)」となっているので、食事後に本格的に散策するのだと思っているようで、数名の方が来ませんでした。
私もそう思っていたので、本格的に降る雨の中を行くのは嫌だなあと思いましたが、一応、行くことにしたのです。
しかし、実際に町の中を散策したのは、僅か30分ほどでした。

朝食後、すぐにバスに乗って出掛けることになりましたが、トゥルッリの街並み散策してからマテーラへ向かうのかと思いきや、何と、そのまま「マテーラ」まで行くのだといいます。雨の中、朝の散策に参加しておいて良かったです(*^_^*)。
とはいえ、どうも腑に落ちませんヽ(`⌒´)ノ。

【マテーラ】
10時過ぎに「マテーラ」に到着すると幸い雨がやみました。
そして、バスの駐車場のすぐ上の公園(カステッロ公園)に円柱形の塔が数本見えました。「トラモンターノ城跡」です。
(トラモンターノ城)
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ナポリ王フェルディナンド2世は、1497年、この地をソレント伯爵ジャンカルロ・トラモンターノに与え、マテーラ伯爵としました。彼は、トラモンターノ城(Castello Tramontano)の築城をはじめたのですが、住民に重税を課したことから、住民がこれに反発して1514年に伯爵を惨殺、城の建設は中断し、その後、城壁などの石が住宅資材として盗まれていきましたが、城壁のあとが一部が残っています。

【マテーラ洞窟住居(サッシ)群】
トラモンターノ城はさておき、マテーラの主役は何と言っても「洞窟住居群」です。
旧市街地区には、石灰質の岩肌に造られた「サッシ」と呼ばれる洞窟住居が多くあります。
グラヴィーナ渓谷にあるマテーラの旧市街にはサッシが何層にも重なりあって造られていますが、その建設時期は明らかでなく、8世紀から13世紀にかけてイスラム勢力の支配から逃れてきたギリシャ正教ベネディクト派の修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれています。
15世紀から16世紀には、オスマン帝国に追われたアルバニア人やセルビア人などが移住してきました。
その後、マテーラは1663年にバジリカータの州都となり繁栄期を迎えましたが、ナポレオン時代の1806年にポテンツァに州都が移され、その後の経済逼迫の影響もあり衰退していきました。
その後、長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされましたが、19世紀までは比較的快適な住環境でした。
しかし、20世紀初頭より人口が急速に増加したため、元々畜舎であった採光も水の流れも劣悪な洞窟までもが住居として使用されるようになり、衛生状態が極度に悪化しました。
第2次世界大戦後も2万人がサッシに住んでいましたが、住民は貧しく、サッシは不潔な貧民窟としてイタリア中に知れ渡り、それを気にしたイタリア当局がマテーラ郊外に新たな集合住宅を建設し、サッシ地区の住民15,000人近くを強制的に移住させたため無人の廃墟と化しました。
しかし、150以上の石窟聖堂や3,000戸ほどの洞穴住居、地下水路で各戸の貯水槽に上水を供給するシステムなど、ユニークな文化的資産が見直されて、1993年にユネスコの世界遺産に登録されたことから観光客が増え、現在では、これを対象とした宿泊施設、食堂、工芸品の販売店などが増え、現在では洞窟住居の5分の1ほどが再利用されているとのことです。

【サッシ群サッソ・カヴェオーソ地区観光】
グラヴィーナ渓谷の斜面に沿って作られたサッシ地区は、高台の上に立てられたドゥオモを起点に、北側の「サッソ・バリサーノ」と南側の「サッソ・カヴェオーソ」に分かれていますが、我々のツアーはサッソ・カヴェオーソ地区の南西にあるパスコリ広場(Piazzetta Pascoli)で写真タイムからスタートです。
パスコリ広場の展望台から見渡す「サッソ・カヴェオーソ地区」の小さな洞窟住居が谷の斜面の崖にへばりつく白い廃墟のような独特の光景は圧巻です。また、その洞窟の白い壁が薄汚れていることにより、かえって郷愁を感じさせ魅力を増しているような気さえします。
「マテーラ洞窟住居(サッシ)群、サッソ・カヴェオーソ地区全景」
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左方面の大聖堂の鐘楼が突っ立っている丘の上の地区は「チヴィタ(Civita)」と呼ばれ、以前は城壁で囲まれた小都市が存在し、またマテーラの発祥地だそうです。
(チヴィタ方面を)
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また、正面右手の頂部に十字架が立つ一際目立つ巨大な岩山(岩塊)はモンテッローネ(Monterrone)と呼ばれ、岩塊をくり抜いた洞窟協会「サンタ・マリア・デ・イドリス教会」が存在します。
(モンテッローネ) 
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パスコリ広場(Piazzetta Pascoli)展望台での写真タイム後、広場脇の細い路地からサッソ・カヴェオーソ地区へと降りて行き、迷路のような小路を通り抜けてすり鉢の底のような場所にある広場へ・・・。
(サッソ・カヴェオーソ地区へ降りていく)
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この広場から見上げる最頂部に大聖堂の鐘楼が建つチヴィタ(Civita)方面のサッシ群の光景もなかなかのものです。
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そして、サンタ・マリア・デ・イドリス教会脇のサン・ピエートロ・カヴェオーソ教会前の広場へも・・・。
(迷路のような路地)  
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(サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会とサンタ・マリア・デ・イドリス教会)
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その後、教会脇のアーチをくぐって、グラヴィーナ渓谷を見渡しながら、サッシ地区南部にある洞窟住居「グロッタの家」へ向かいます。
尚、ラヴィーナ渓谷の岩肌には今も洞窟の姿が見えます。
(グラヴィーナ渓谷)
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18世紀初頭に建てられた典型的な農民の洞窟住居「グロッタの家」の中には当時の家具がそのまま残されており、洞窟の中の生活がどんなものであったかをうかがうことができます。
(洞窟住居・グロッタの家)
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(洞窟住居内)
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洞窟住居見学後、さらに迷路のような小路を通り抜けて洞窟レストランへ行き昼食。
(またまた迷路を歩きレストランへ・・・)
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パスコリ広場からレストランまで1時間15分のマテーラ・サッシ地区(サッソ・カヴェオーソ地区)観光でしたが、ほとんど何処を歩いていたのか分かりません( ̄ー ̄;。
ガイドさんなしで歩いたら、絶対に迷子になってます(苦笑)。

昼食では、「オレキエッティ」などが出ました。「小さな耳」という意味のプーリア州の代表的パスタだそうで、日本でも時々見掛けるパスタです。
マテーラはプーリア州ではありませんが、近いことから出たのでしょう。
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私が、今までイタリア旅行をしなかった理由の一つにイタリア料理が苦手なことがあります。尤も、パスタは食べられないことはないのですが好きではありませんでした。しかし、このオレキエッティを食べてみて、腰の強い食感が何とも言えず気に入りました。これなら一ヶ月に一度くらいなら食べてもいいかもネ。 ネットなどで調べると、マテーラは食事が美味しいことでも有名なようです。
町の雰囲気は勿論ですが、この町がすっかり気に入ってしまいました(*^_^*)。いつか又、訪れることできたら、1泊か2泊してゆっくり見て廻りたいものです。


【ポンペイ】
昼食後は、次の訪問地「ポンペイ」へ・・・。
「ポンペイ」へ到着すると土産物屋さんなど、多くの店があり、その中に各国の国旗がはためく店があり、日の丸も見付けました。遠く離れた海外で日の丸を見付けると何だかうれしくなってきます。
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尚、多くの店先にレモンやオレンジなどが出ていますが、その大きさが半端なくデカイですw(*゚o゚*)w。
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「ポンペイ遺跡」は、小学校の時に社会科で知り、いつか訪れてみたいと思っていましたが、その「ポンペイ」へ遂にやって来たのです。
ところが、到着してほどなく、またまた雨が降って来ました(/。ヽ)。
ポンペイは、随分、発掘が進み、あまりにも広い上、見どころが多過ぎて、説明を聞きながら廻っていても、右の耳から左の耳へ通り抜けていき、片っ端から忘れてしまいました( ̄ー ̄;。
勿論、円形闘技場跡やフォロ、壁画などをはじめ印象に残っている遺跡は多くありますが、私は石畳の道路に残る「深~い轍」が一番印象に残っています✩⃛*ෆʃᵕ ॢᴗ ॢᵕ)꒡◡꒡*ƪෆ*✩

さて、ポンペイ遺跡内へは、松並木の道を通って行きますが、こちらの松の木は、ポンペイに限らず、何処の松の木も、下部の枝が全て払われていて上部が丸く刈られた傘松状になっていて、日本の松の風情とは随分違います。
(松並木の道)
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そして、大体育場脇の円柱の並ぶ回廊を通って、まずは円形闘技場へと向かいます。
(大体育場)
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(円柱の並ぶ回廊)
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(円形闘技場)
ポンペイの円形闘技場は、ローマの征服後のAD80の建造とされるそうで、有名なローマのコロッセオのミニ版のようですが、ポンペイのは現存する闘技場の中では世界最古だそうです。
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(ポンペイ遺跡内の通り)
車道と歩道が区分され、飛石状の横断歩道もあります。そして、何よりも深い轍が歴史を感じさせ印象的です。
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(飛石状の横断歩道)
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(娼婦館に残る男女の営みを描いた壁画)
何てったって、世界で一番古い職業だそうですからネ。
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(個室)
まさに〇行為が行われていた部屋です。石でできていますが、当時はマットレスが敷いてあったそうです。
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(フォロ・公共広場)
ポンペイの大広場。東にマーケット、北にジュピター神殿、西にアポロ神殿、南にバジリカがあります。
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(ジュピター神殿)
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(フォロの浴場)
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(浴場向かいの居酒屋のキッチン)
この居酒屋さんは、最高の立地条件ですヨネ(笑)。
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(パン屋さん)
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小麦を挽いていた石臼とパンを焼いていた石窯が。また、実際に焼かれたパンも、炭化した状態で出土したそうです。
(悲劇詩人の家の玄関の‘CAVE CANEM、猛犬注意’のモザイク画)
大昔から、こういう脅しってあったんですネ。
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【秘儀荘】
ポンペイ遺跡の中心部を見終わったあと、「秘儀荘」へ向かいました。
「秘儀荘」という名前(和訳?)が微妙ですが変な所ではありません。勿論、秘宝館とは違います(笑)。
秘儀荘とは、ギリシャから伝来された秘教「ディオニソス教」の信仰のための建物でしたが、その宗教は、ローマ帝国の秩序を乱すものとして弾圧されていました。ディオニソス信仰の教えにある『社会的な法や理性といった束縛から自分を解き放ち自由になろう』という思想を促すものを、ローマ帝国は容認しなかったのです。
そのため、ローマの目がとどきにくい南イタリアを中心に定着していたのだそうです。 
秘儀荘は、ポンペイの他の遺跡とは、かなり離れたところにありますが、「秘儀荘の壁画」はポンペイの壁画のなかで最も保存状態がおく、ポンペイ遺跡観光の目玉の一つなのだそうです。
「秘儀荘」は、つい最近、修復が完了したんだそうです。
(秘儀荘)
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秘儀荘に到着し、最初に入った部屋には、火山灰の中から見つかったポンペイ住民の石膏の遺体が置かれていました。死因は主に火山灰と有毒ガスなんだそうですが、息苦しく、熱くて、もがき苦しんでいる姿が何とも生々しいです。
(火山灰の中から見つかったポンペイ住民の石膏の遺体が置かれた部屋)
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(ポンペイ住民の石膏の遺体)
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そして、奥の「秘儀の間」と呼ばれる大広間の部屋に入って行くと、紀元前一世紀半ばに壁一面に描かれた縦3m、横17mの壁画(フレスコ画)が 「ポンペイの赤」を背景に浮き立つ人物像が鮮やかな色彩とともに目に焼きつきます。
秘儀荘の壁画は、「ディオニソスの秘儀」への入信の場面を描いた連続画と言われています。
ディオニュソスとはバッカスと呼ばれる酒の神で、「ディオニュソスの秘儀」は女性の信者を中心に集団陶酔し、日頃のストレスやもやもやを解消するため、ディオニュソスの神を讃え、酒を飲み、過激に踊り狂い、獣を八つ裂きにしたりし、その後、憑きから覚めると、また、何もなかったかのように普通の女に戻るのだそうです。
(秘儀荘の鮮やかな色彩の壁画)
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以上でポンペイ遺跡観光は終了しましたが、一体、何処をどう廻ったのか分からず、訪問前に期待していたほどには感激しませんでした。もっと事前学習をしてから、一日じっくりかけて見学しないと駄目なんでしょうね。
ところで、ポンペイといえば、当然、「ベスビオ火山」を想い起しますが、残念ながら天気が悪くて時々顔を出すだけで、ポンペイ遺跡の中心「フォロ」に居た時には見えませんでした。これも理由かな?
1時間40分にわたるポンペイ遺跡見学後は、今日の宿泊地「ナポリ」へ向かうと、晴れ間が見えて来てベスビオ火山もくっきり見えてきましたが遅きに失します(/。ヽ)。
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尚、ナポリは最近非常に治安が悪いというので、郊外のホテルです。勿論、夜間外出(観光)は難しそうです(/。ヽ)。

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