幕末の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社

所在地
東京都世田谷区若林4丁目35-1
社格
府社
祭神
吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)
拝観
境内自由
写真撮影日
2011/01/12
2011/04/01
歴史等
吉田松陰は、江戸幕府大老井伊直弼によって、安政5年(1858)から翌6年(1859)にかけて行われた安政の大獄に連座し、江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死された。
その4年後の文久3年(1863)、松陰門下であった高杉晋作や伊藤博文等によって、小塚原の回向院にあった松陰の墓が、長州藩主毛利氏の所領で藩主の別邸があった大夫山(だいぶやま)と呼ばれていたこの地に改葬された。
明治15年(1882)11月、松陰門下の人々により、墓のそばに社を築いて松陰の御霊を祀り神社が創建された。
『現地説明板等より』
ギャラリー
手水舎と松陰の像
鳥居をくぐり、社殿に向かうと左手に手水舎があり、その後ろに松陰の銅像がある。

松陰の50年祭に際して寄進された32基の燈籠
社殿の手前に32基の燈籠が並んでいる。長州藩最後の藩主毛利元徳の長男で、毛利宗家の毛利元昭をはじめ、松陰門下の伊藤博文や山県有朋などにより明治41年(1908)に奉献されたもので、木戸孝正、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前も刻まれている。。 
燈籠奉献者氏名 
松下村塾
社殿横に松下村塾をを模した建物が建てられているが、入れなかった。尚、本物の松下村塾は、萩市にある松陰神社敷地内に移築されている。 ![]()
松陰の墓所へ
32基の燈籠のところから左へ向かうと松陰の墓所へ出る。墓所の入口に立つ鳥居は木戸孝允により寄進されたものである。 
墓所案内図 

墓
松陰らが眠る墓域は幕末の禁門の変(蛤ご門の変)後、徳川勢により一度破壊されたが、慶応4年・明治元年(1968)、木戸孝允がこれを修復整備した。その後、墓所修復の挙を聞いた徳川氏から石燈籠と水盤が謝罪の意を込めて寄進された(墓所手前と右脇)。 
徳川氏寄進された燈籠と水盤

桂太郎の墓
松陰神社敷地に隣接する形で桂太郎の墓がある。桂自身の遺言により、この地に埋葬されたという。写真左手前が桂家の墓で右奥が桂太郎の墓であるが、いずれも随分立派なものだ。 
豪徳寺
谷を挟んだ向こう側(西方約1km)には豪徳寺がある。豪徳寺は松陰を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の寺であるw(*゚o゚*)w。 
