歓喜院(かんぎいん)

齋藤実盛により創建、日本三大聖天の一つ

貴惣門(重文)
当山第1の山門で高さ16m、重層の特徴ある三破風を組合せ豪壮な構造美は全国に類例が少ない。 精巧な彫刻で周囲を飾り、二天王像(持国天・多門天)を左右に安置。嘉永4年(1851)竣工、棟梁は当町工匠林正道である。 昭和62年屋根改修。
ところで、ご朱印の文字、もう少し何とかならない?これでは有難味が半減(苦笑)。
 

正式名称

聖天山歓喜院(しょうてんざんかんぎいん)

別称

妻沼聖天、妻沼聖天山

所在地

熊谷市妻沼1627

宗派

高野山真言宗準別格本山

山号

聖天山

本尊

歓喜天御正体錫杖頭(重要文化財)

開基

齋藤別当実盛

札所等

関東88箇所第88番
関東33観音第16番
幡羅88箇所第13番

文化財等

【重要文化財】 御正体錫杖頭、聖天堂、貴惣門

撮影日

2008/08/28

歴史等

寺伝では治承3年(1179)に、長井庄(現熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤実盛が、祖先伝来の本尊聖天さまを祀る聖天宮を建立し、 長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。
その後、建久8年(1197)、実盛の次男斎藤実長が出家して阿請房良応(あしょうぼうりょうおう)となり、聖天宮の別当寺院(本坊) として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。
中世には忍城主の庇護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興されたが、寛文10年(1670)の妻沼の大火で焼失した。
現存する聖天堂(本殿)は、その後享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて再建されたものである。
『「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)」、「ウィキペディア」 ほか参照』

現況・感想等

聖天山歓喜院は、日本三大聖天の一つとされ「埼玉の小日光」とも言われるそうで、「聖天山歓喜院」 の伽藍は見事なもので一見の価値がある。
聖天山歓喜院へは、斎藤実盛館跡とされる実盛塚を訪れ、 地元の方に館について教えてもらった時に、「実盛塚には板石搭婆以外何もないが、近くにある実盛創建とされる歓喜院には、 境内に実盛の銅像が建つほかに、実盛の木像が所蔵されている」とのことで訪れた。しかし、残念ながら木像は滅多に見せてはもらえないようだ。
「平家物語」をはじめ、謡曲「実盛」や、軍記物語「源平盛衰記」、人形浄瑠璃「源平布引滝」、歌舞伎「実盛物語」などで、 今日に語り継がれている実盛であるが、この地方で如何に崇拝されているか実感した。まさに、熊谷直実と共に、熊谷市の二大英雄であろう。
ところで、ご朱印の字、もう少し上手に(まともな字で)書けないものだろうか(苦笑)。立派な大伽藍が泣くのでは?(失礼)。
尚、お寺とは関係ないが、猛暑の熊谷市名物「カキ氷・雪くま」が境内にもあったが、これは美味くて、真夏には最高だ(^^)。
(2008/08/28訪れて)

ギャラリー

歓喜院境内図(現地案内板より)       ~クリックにて拡大画面に~

中門(四脚門)
寛文の大火でも残り、聖天山の建造物群の中でも最古のものと言われる。 木端及び側面破風の中央にある懸魚の模様など、室町時代の特徴をよく表している貴重な建物で、里人はこの門を甚五郎門と称している。 平成2年改修。

仁王門
万治元年(1658)の建立と伝えられるが、明治24年台風により倒壊。同27年に再建された。 左右の金剛力士は当時のままで、室町時代の気風を残す逸品である。昭和57年に屋根を改修。

本殿(重文)
奥殿・中殿・拝殿よりなる権現造。斎藤別当実盛公が聖天宮を開創されてから何度も修復・再建されてきたが、 江戸時代初期、災火のため中門を残して焼失。現存する御本殿は、江戸時代中期に再建されたものである。現在、保存修理の大工事 (平成15年10月着工、平成23年6月完成予定)を行なっている。

本坊本堂
実盛の子良応僧都が、ご本尊にお仕えする行者の修行の場として、開創された。即ち、本殿は祈願の道場、 本坊は修業の道場である。

雪くま
お寺とは関係ないが、猛暑の熊谷市名物「カキ氷・雪くま」が境内にあったが、これは美味くて、 真夏には最高だ(^^)。私は、当日、既に熊谷中心部にある八木橋百貨店内にあるフレンズで食べたので、 さすがにここには入らなかった(笑)。
 

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント