鹿島神宮(かしまじんぐう)

東国三社の一つで香取神宮と共に北方の蝦夷に対する国土鎮護の宮

鹿島神宮拝殿(左)と本殿(右)
社殿は元和5(1619)に徳川秀忠より奉納されたもので、桃山期の極彩色が鮮やかである。本殿・幣殿・ 拝殿・石の間のいずれも国の重要文化財指定を受けており、 本殿が北向きに建てられているのは武神の霊力を蝦夷の住む東北地方に及ぼすためといわれる。
 

所在地

茨城県鹿嶋市宮中2306-1

社格等

式内社(名神大)・常陸国一宮・官幣大社・勅祭社・別表神社

主祭神

武甕槌大神(武芸の神)

文化財等

【国宝】      直刀・黒漆平文大刀拵、附:刀唐櫃
【重要文化財】 梅竹蒔絵鞍、楼門、本殿、石の間、拝殿、幣殿、奥宮本殿、仮殿
【国指定史跡】 境内が国の史跡に指定

写真撮影日

2009/01/18

歴史等

鹿島神宮は、日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社である。茨城県神栖市にある息栖神社、千葉県香取市にある香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれる。
創建は神武天皇1年、紀元前660年と伝えられているが、倭奴国王印が1世紀中頃、 卑弥呼が3世紀前半の人物といったことを考えると少し無理がある!?
祭神は香取神宮の経津主神 (ふつぬしのかみ)とともに、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神(たけみかづちのかみ)で、 武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受け、平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると伊勢神宮・ 鹿島神宮・香取神宮の3社だけである。
鹿島神宮の正殿は、神社には珍しく北を向いており、香取神宮と共に、 北方の蝦夷に対する護りの要であり、国土鎮護の宮であったのである。
中世以後も鹿島神宮は源頼朝や徳川家康の篤い保護を受け、武運守護の神として崇敬を集めてきた。

現況・感想等

鹿島と云えば、今では「鹿島アントラーズ」かも知れないが、以前は武芸の神様「武甕槌大神(たけみかづちのおおみかみ)」 を祭神とするこの「鹿島神宮」であり、当地出身の剣豪「塚原卜伝」であったであろう。尤も、私には鹿島城址と鰻だが (笑)。
鹿島神宮は、東日本を代表する由緒ある神社で、しかも参拝に訪れたのが1月18日でもあり、多くの参拝客で賑わっていた。
天然記念物・鹿島の森の中にあり、二の鳥居をくぐって社殿へ向かう長い参道は鬱蒼とした大木が並び、歴史を感じさせるとともに、 マイナスイオンたっぷりといった感じで清々しい気持ちになる。
そして、帰りに寄った鰻屋さん「立花」 の天然ウナギに大満足(笑)。
(2009/01/18訪れて)

ギャラリー

二の鳥居
漁業・港湾・船舶関係に縁が深いため、鹿島神宮の「一の鳥居」は、北浦湖畔の大船津に立っているという。 恐らく、昔は舟で参拝しに来ていたのではないだろうか。この二の鳥居が、鹿島神宮の森への入口になるが、写真右の方に神社駐車場があり、 車がひっきりなしに通るため、どうしても写真に写ってしまう(汗)。

楼門
総朱漆塗りの2階建てのこの楼門は、寛永11年(1634)、初代水戸藩主徳川頼房が奉納したこの門は 「日本三大楼門」の一つである。尚、楼門に架かる「鹿島神宮」の扁額は東郷平八郎元帥の直筆によるものだそうだ。

拝殿

奥参道
奥参道は「奥馬場」とも呼ばれ、毎年5月に流鏑馬神事が行われる。周辺には約700種に及ぶ南限・ 北限の植物が自生しており、境内は県の天然記念物に指定されている。

鹿園
鹿の神霊である天迦久神(あめのかくのかみ)が天照大御神の命令を武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来し、 鹿島神宮では鹿が使いとされている。また、神護景雲元年(767)に、 藤原氏が氏神である鹿島の大神の分霊を奈良に迎えて春日大社を創建したが、そのおりに神鹿の背に分霊を乗せ、 多くの鹿を引き連れて1年がかりで奈良まで行ったとされている。鹿島の神鹿は長い歴史の間に何度か新たに導入されており、 現在飼われているのは奈良の神鹿の系統を受けている。(現地説明板より)

奥宮
慶長10年(1605)、徳川家康が奉納した本殿を元和の造営の際に引き遷したもので、 需要文化財に指定されている。


【鹿島神宮に次いで、鹿島といえば・・・!?】
鹿島城
私にとっては、まずは「鹿島城跡」 である。

②ウナギ「立花
そして、ウナギも欠かせない(笑)。それにしても 「立花」 の、この天然ウナギは美味かった(^^)

③鹿島スタジアム
最近では、鹿島アントラーズかもしれないですね!?

④剣豪「塚原卜伝」
やはり、塚原卜伝も欠かせないでしょう。子供の頃の記憶では、塚原ト伝と云えば「鍋の蓋で刀を受け止める」 だった(笑)!漫画の見過ぎ!?
 

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