日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
徳川三代将軍家光が久能山から遷座し創建した家康を祀った神社
陽明門

正式名称
東照宮
(正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い)
所在地
日光市山内2301
社格
別格官幣社
祭神
徳川家康
文化財等
【国宝】
「建造物8棟」
本殿・石の間及び拝殿(合1棟)、正面及び背面唐門(2棟)、東西透塀(2棟)、陽明門、回廊2棟(附潜門)
「美術工芸品」
太刀「銘助真」、太刀銘「国宗」
【重要文化財】
上社務所、表門、神楽殿、神輿舎、鐘楼、鼓楼、五重塔、石鳥居、上神庫、中神庫、下神庫ほか多数
拝観
【拝観時間】
4月1日 ~ 10月31日(午前8時~午後5時)
11月1日 ~ 3月31日(午前8時~午後4時)
※尚、各期間とも受付は閉門30分前に終了。
【拝観料金】
(日光東照宮単独拝観券)
大人・高校生1,300円、小中学生450円
写真撮影日
2005/10/31
2008/11/25
概要
日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれている。
二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっている。
ただし、「二社一寺」がこのように明確に分離するのは明治初年の神仏分離令以後のことであり、近世以前には、山内の仏堂、神社、
霊廟等をすべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていた。
さて、東照宮であるが、元和2年(1616)4月17日、徳川家康が駿府(静岡)で死去した。
遺骸は遺命により直ちに駿河国の久能山へ葬られ(久能山東照宮)、さらに翌元和3年に下野国日光へ改葬された。
同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日に奥院廟塔に改葬され、
4月17日に遷座祭が行われた。
寛永11年(1634)9月には、3代将軍徳川家光が日光社参し、寛永13年の21年神忌に向けて社殿の大造営に着手した。
正保2年(1645)には、朝廷から宮号が授与されて東照社から東照宮に改称した。
明治初年の神仏分離により、日光は神社の東照宮・二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立した。明治6年に別格官幣社に列せられ、
第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社となっていたが、昭和60年に神社本庁を離れて単立神社となった。
そして、平成11年(1999)には、『日光の社寺』の一部としてユネスコの世界遺産条約に基づき世界遺産に登録された。
感想等
徳川家康、とりわけ家光嫌いの私は、あまり日光へ行くのは気が進まなくて、3回しか行ったことがない。それも、目的は紅葉である。
日光の紅葉は、京都とはまた一味違う魅力がある。
勿論、東照宮の華麗な建築群は素晴らしい。家光によって築かれたということを除けば・・・(苦笑)。
文化財等を見るのに、人物の好き嫌いは気にしてはいけないのは分かってはいるが・・・(笑)。
ギャラリー
石鳥居(重文)
元和4年(1618)、筑前福岡藩主黒田長政によって奉納された。石材は、九州から船で小山まで運ばれ、
その後、陸路を人力でこの日光まで運ばれたという。
五重塔(重文)
石鳥居をくぐって入って行くと、左手に五重塔が見える。慶安3年(1648)
若狭小浜藩主酒井忠勝によって奉納された。文化12年(1815)火災に遭ったが、その後、文政元年(1818)
に同藩主酒井忠進によって再建された。
表門(重文)
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれている。
この手前に拝観受付所がある。
神厩舎
神馬をつなぐ厩。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、
人間の一生が風刺されている。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名である。
三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)
三神庫(重文)と御水舎(重文)・輪蔵(重文)
右手に三神庫(さんじんこ)のうちの上神庫。その右の中神庫、下神庫は改修中。左奥は御水舎、輪蔵。上神庫・
中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められている。御水舎
(おみずや)は、神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物で、水盤は元和4年(1618)
佐賀藩主鍋島勝茂によって奉納された。輪蔵(りんぞう)は寛永12年(1635)に建てられた。仏教の経典を納める「経蔵」であるが、
一切経1456部、6325巻を納めた8角形の回転式の書架が置かれていることから『輪蔵』という名前がついているようである。
陽明門(国宝)
日光東照宮の象徴的な建築で、寛永12年(1635)に建てられた。「陽明門」
の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされ、正面唐破風下には元和3年(1617)
に後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の額が掲げられている。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、
故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など508の彫刻がほどこされている。
神輿舎(重文)と神輿
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿が納められている。

唐門(国宝)とその奥に拝殿(国宝)
陽明門をくぐると目の前に見えるのが唐門、その奥が拝殿と本殿。東照宮の最も重要な本社への正門で、
江戸時代は将軍に拝謁の幕臣や大名だけが使用。今でも唐門は正月や大祭等の祭典時と国賓相当参拝者しか使用不可とのこと。全体が胡粉
(ごふん)で白く塗られ清楚な感じがする。四方軒唐破風という唐門の屋根は他の建物の屋根とは少し異なる。
欄間には中国の賢者の彫刻等があり、当時中国から輸入した木材が使用されたそうである。
眠り猫
左甚五郎作と伝えられている。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」
に因んで彫られたとも言われている。これより奥宮に通じる。
