世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)
徳川家発祥の地?に建立された東照宮
「徳川氏発祥の地」の幟が立つ世良田東照宮境内

所在地
群馬県太田市世良田町3119番地1
社格等
郷社
祭神
徳川家康
文化財
本殿、唐門、拝殿、鉄燈篭、棟札、太刀(以上、国指定文化財)
概要
この地は新田氏の開祖新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、
大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、
徳川氏ゆかりの地ともされた。
元和2年(1616)、徳川家康が没すると、遺命により久能山(静岡市)に葬られ、翌年日光に改葬された。それより20年後、
社殿は3代将軍家光により全面的に改装され、今日の日光東照宮が完成した。
寛永21年(1644)、家光の命により、日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていた天海は、
旧社殿の一部を長楽寺境内に移築して世良田東照宮を勧請した。当地が徳川氏発祥の地とされ、遠祖の世良田(徳川)
義季開基とする寺だからである。
歴代徳川将軍から信仰され、江戸時代は大いに栄えた。
明治8年(1875)、神仏分離によってに長楽寺から分離し、明治12年(1879)に郷社に列格した。
『現地説明板ほかより』
現況・訪問記・感想等
「世良田」というと、隆慶一郎氏の「影武者徳川家康」が思い起こされる。世良田は徳川氏発祥の地ということになっているし、
隆氏はおそらくここから影武者の名前を「世良田二郎三郎元信」としたのであろう。この本は非常に面白かった。
また、宮城谷昌光氏の「風は山河より」の中で、家康の祖父松平清康が「世良田次郎三郎」と初めて名乗り、徳川氏の祖が世良田の出身で、
新田氏の流れを汲む源氏の出であるとしている。
いずれにしても、徳川氏が征夷大将軍になるためのこじつけで眉唾であろうが、世良田の地に興味はあった。
世良田東照宮境内には、「徳川氏発祥の地」の幟がいっぱいたっている。また、旧尾島町地区(世良田町や徳川町)には、
この世良田東照宮のほかに徳川町にも、小さいながら徳川東照宮
(徳川館跡)というのがあり、近くの道路端に「徳川氏発祥の地」の大きな看板が見える。
尚、世良田東照宮の裏側一帯が世良田氏館跡とされ、
広い公園となり堀跡などが残されている。また近くには、新田氏宗家の新田館跡とされる総持寺もある。
ギャラリー
黒門(縁結び門)
江戸時代は、家康公薨去日4月17日・正月17日開扉された。また、
地覆長押をまたいで参拝すると良縁が成就すると伝えられる。
㊧拝殿、㊨境内には幟が
㊧日光東照宮奥社拝殿として元和年間(1615~1623) に造営され、寛永17年
(1640)~同19年に当地へ移築された。唐門と本殿が、この背後にあるが見えない。
㊨境内には、「徳川氏発祥の地 世良田東照宮」と染められた幟が何本もたっている。

徳川発祥の地の看板と尾島町かるた
㊧徳川東照宮近くを通る道路端(永徳寺入口)には、「徳川氏発祥の地」と書かれた大きな看板があり、
㊨東照宮への手前にたつ「尾島かるた」案内板に徳川発祥の地についての説明がされている。

世良田館跡
世良田東照宮の裏側一帯が世良田氏の館跡とされ、広い公園となり堀跡などが残されている。また、
世良田東照宮裏(公園との境)には土塁も残っている。
新田氏宗家の新田館
(総持寺)
こちら新田氏宗家の館跡とされる総持寺には遺構は全く残っていない。
