2015/06/22(月)

ヴィリニュス早朝散策、エコテル・ヴィリニュス(ヴィリニュス)→ カウナス(旧日本領事館、アレクソタス展望台、市庁舎広場、ヴィタウタス大公教会、ペルクーナスの家、聖ペテロ・パウロ大聖堂、カウナス城)十字架の丘→デイズ・ホテル・ベフ・リガ(リガ)泊


ヴィリニス最後の日ということで、今日も朝早く起きて、ネリス川沿いを散策しました。ネリス川の向こう岸の丘の上のゲディミナス城がよく見えます。
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また、ネルス川に架かる橋には、兵士の像と一般市民の像がありました。ソ連からの独立を記念したもののようです。バルト三国は、いずれもソ連とは因縁深いものがあるのでしょうね。
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ところで、今回の旅に出掛けるまで、実はリトアニアについての知識といえば、
①杉原千畝氏に関する話
②ソ連からの独立運動での「200万人の人間の鎖(歌う革命)」について
③テレビで何度か見た「十字架の丘」の光景
④世界屈指の美人の国であること
くらいでした。
旅行前に、歴史を調べようと思い、いろいろ本をあさって読んだのですが、あまりにも、ややこしくて頭になかなか入りませんでした( ̄ー ̄;。
というわけで、④にも大いに期待したのですが、夏至祭の最中で、皆さん、ほとんどが田舎へ帰ってる(或いは、友人の田舎等へ行っている)とかで、若い女性をほとんど見掛けませんでした(笑)。
それは冗談として、今日は、その内の2つ、杉原千畝さんがいた「旧日本領事館」と「十字架の丘」へ行きます。

【カウナス】
まずは、カウナスへ向かいます。
カウナスは、人口は約355,550人(2008年)のリトアニア第2の都市で、街の歴史も古く、さらには15世紀にはハンザ同盟都市となって交易の要として繁栄したので、旧市街には中世の面影がよく残り、旧市庁舎広場を中心に見どころが多い街です。
また、1920年から第二次世界大戦までの期間、ポーランドに併合されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都となっていた時代もあり、近郊には日本のシンドラーと称される杉原千畝が在籍していた「旧日本領事館」が「杉原記念館」として残されています。 
「杉原記念館(旧日本領事館)」
カウナスでは、まず、その「杉原記念館」を訪れました。
「杉原記念館」は、カウナス近郊の高級住宅地の中にあります。 
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杉原記念館(旧日本領事館)内には、当時の外交官執務室が再現されています。この執務室で必死にビザを手で書き続けたんですね。
おこがましいとは思いましたが、机を前にして座り、記念撮影を・・・(;´▽`A``。 
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ここで、本国(日本)の意に反して、ユダヤ人を助けるために、必死になって「命のビザ」と言われる日本国の通過ビザを大量に発給したのかと思うと感慨深いものがあります。

(アレクソタス展望台)
次に向かったのは、アレクソタス展望台です。アレクソタス展望台は、ネムナス川の対岸は小高い丘の上にあります。
展望台からはネムナス川とカウナス市街がよ~く見渡せます。
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その中に、ユニークな建物を見付けましたよ(*^_^*)。
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尚、展望台までは麓からケーブルカーで登ってくることもできますが、我々のツアーはバスで行きました。
ここでは、何よりもバスの運転手さんの運転技術に感激しました(笑)。何しろ、すごく狭い道の曲がり角に何台も車が駐車されており、通るのは不可能と思われるようなところを何度も切り返しを繰り返して通り抜けたのですw(*゚o゚*)w。

【カウナス旧市街】
次は、いよいよカウナス中心街です。カウナスは小さな町ですが、カウナス城、市庁舎広場(旧市庁舎・イエズス教会他)、ヴィタウタス大公教会、ペルクーナスの家、聖ペテロ・パウロ大聖堂等々、見どころも多いです。
(カウナス旧市街図)
カウナス中心街
カウナス旧市街では、バスを降りて、横目にカウナス城を見ながら市庁舎広場へ向かい、それらの見どころを次々と観光です。
(カウナス城)
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(市庁舎広場)
市庁舎広場
市庁舎広場は、中世には市場がたった場所です。
現在も旧市街の中心で、周囲をギャラリーや博物館として使用されているゴシック建築様式の建物に囲まれ中世のたたずまいを残しています。
上写真右の建物が旧市庁舎で、左の建物がイエズス教会です。旧市庁舎はバロック様式の建物で、1542年に建設が開始され、18世紀半ばに現在の姿に建て直されました。帝政ロシア時代には政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使用され、現在は市の結婚登記所になっており、館内の一部は陶器博物館になっています。
イエズス教会は、17世紀建立の修道院併設の教会で、ソ連占領下では他用途に転用され、独立回復後に教会に復活したそうです。
(モニュメント)
モニュメント
市庁舎広場の中央には、自転車を吊るしたユニークなモニュメントが・・・。
背後の建物ははイエズス教会です。

(ペルクーナスの家)
市庁舎広場のあと、南側を流れるネムナス川の方へ向かって歩いて行くと、右手にペルクーナスの家が見えてきます。
ペルクーナスの家 
ペルクーナスの家は、赤煉瓦造りのゴシック様式の建物で、15世紀にハンザ同盟の商人により建造され、16世紀にイエズス会の手に渡りました。
この場所には、元はキリスト教受容以前の雷神ペルクーナスを祀る神殿があったそうです。

(ヴィタウタス大公教会)
さらにネムナス川方面に進むとヴィタウタス大公教会があります。
ヴィタウタス大公教会
ヴィタウタス大公教会は、15世紀前半に建てられたゴシック様式の教会で、ヴィタウタス大公がタタール征伐に出掛けた時、戦場で奇跡的に難を逃れたことがあり、感謝の印に建てられたと云われています。

その後、再び市庁舎広場へ戻り、広場の北東に建つ聖パウロ・ペテロ大聖堂へ向かいました。
(聖パウロ・ペテロ大聖堂)
聖パウロ・ペテロ大聖堂
聖パウロ・ペテロ大聖堂は、旧市街でもひときわ存在感のある赤レンガの美しい建物で、現在リトアニアのカトリックの司教座聖堂になっています。
(聖ペテロ・パウロ大聖堂内部)
大聖堂内部は豪華な上、多くの彫刻やフレスコ画で埋められ、教会にはあまり興味のない私でさえ魅入ってしまうほどです。
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その後、40分強のフリータイムが与えられました。

【カウナス城】
勿論、私は大急ぎでカウナス城見学です。
カウナス城は本丸周辺だけしか残っていませんが、塔や城壁、そして何より大規模な濠が良好に残り、往時の様子がよく窺えます。
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塔は、やはりバルト三国、特有の可愛らしい建物ですネ。
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尚、カウナス城に関して詳しくは、「タクジローの日本全国お城めぐり」の「番外編(北欧)・リトアニア」の「カウナス城」をご覧ください。

(聖ゲルギオ教会)
また、カウナス城のすぐ南西には聖ゲルギオ教会が建っています。15世紀後半に建てられたゴシック様式の教会で、永らく廃墟となっていましたが近年修復が開始されたそうです。当日もまだ修復中のようでした。道理で、見た目はまるで廃墟のような感じでした。
聖ゲルギオ教会

ところで、ここカウナスでも、屋形船のようなのが置かれた「ボートの小屋・YAKATA」という店がありました。
”JAPONISKO MAISTO RESTRANAS”とあり、日本料理店のようです。
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カウナス観光後の昼食では「ツェペリナイ」という「ジャガイモ団子」が出ました。北海道の「イモ餅」のようなものです。「イモ餅」が好きな私には食感はいいのですが、クリームの味付けが・・・(/。ヽ)。
やっぱり、イモ餅には醤油ですよねえ(笑)
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さて、昼食後は、今夜の宿泊地・ラトビアのリガへ向かいますが、その途中に、リトアニアの北部、シャウレイという街の北12kmのところに位置する巡礼地「十字架の丘」を訪れました。

【十字架の丘】
「十字架の丘」の発祥は分かっていませんが、一説には、初めてここに十字架が立てられたのは1831年のロシアに対する11月蜂起の後と言われています。
1795年の第3次ポーランド分割で、リトアニアはロシア帝国の領土下に置かれることとなりました。ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して2度の蜂起を起こしましたが、いずれも失敗に終わりました。そこで、反乱兵の家族が、彼らの遺体の代わりにこの丘に十字架を立てたといわれています。
その後、さらに十字架だけでなくイエスの受難像やリトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、肖像画、ロザリオなどもカトリック教会の巡礼者によって置かれるようになりました。
1918年、リトアニアは独立を回復し、独立期、この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちのために祈る場所となりました。
しかし、リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、「十字架の丘」に行って十字架を捧げることが、リトアニア人たちの宗教や遺産への忠誠心を示すこととなったのです。それは非暴力による抵抗の表明でした。
その存在を知ったソ連は、3度にわたりブルドーザーで、この丘にある十字架を撤去しようとしました。けれども、リトアニア人たちは、すべての十字架がなぎ倒されてしまった丘に、再び新しい十字架を立てつづけたのです。
このように、「十字架の丘」は数々の抑圧と、それに対する抵抗を繰り返してきたリトアニアの歴史のなかで、何度となく破壊されてきましたが、リトアニア人の深く篤い信仰心に支えられ、破壊されても必ず破壊される以前以上の姿へと蘇ってきたのです。
そして、1990年にソ連からの独立後の、1993年9月7日、教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘に訪れ、ここが希望と平和、愛、そして犠牲者のための場所であると述べました。ローマ教皇が訪れたことで、この丘は、リトアニア人たちの聖地から、全世界のカトリック教徒にとっての巡礼地となったのです。
そして、2001年、リトアニアの十字架作りは「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」のひとつとして、ユネスコの無形文化遺産にも登録されました。

尚、訪問前に、我々の添乗員さんは、しつこいほど何度も「丘というほどのものでなく、2mほどのマウンドです」と言ってましたが、どうしてどうして、立派な丘ですよ。比高差7~8mほどあるのではないでしょうか(笑)。
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その丘の、十字架は想像以上に凄い数でした。十字架の正確な数は分かっていませんが、約5万であろうと推測されているそうですが、多分、今ではそれを遥かに超えているのではないでしょうか。信仰心というのは凄いものですね。
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私達も、駐車場にあるお土産物屋さんで十字架を2個買って、一つは丘の片隅に立て、一つはお土産にしました(*^_^*)。
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