2013/04/22(月)午後

【午後】 サラエヴォ(スナイパー通り、ラテン橋)旧市街バシチャルシア(ベデステン・バザール、古代遺跡?、セルビア正教会、マルカレ市場、カトリック大聖堂、ガジ・フスレブ・ベイ・モスク、モリチャ・ハン、バシチャルシア広場) ⇒ラドンプラザ(サラエヴォ)泊

モスタルで昼食後、再びバスに乗って次の訪問地「サラエヴォ」へ向かうと、車窓から、またまた破壊されたままの建物が次々と現れました。
クロアチアなどでは、復興が進み、あまり見かけなかったが、ここボスニア・ヘルツェゴビナは、オスマン帝国統治時代から現在に至るまで、まだまだ経済的に貧困な地域であり、多くが取り残されたままのようです。
廃屋

サラエヴォへは、ネレトヴァ川に沿って、山間をぬって進んで行きますが、ネレトヴァ川のアイスグリーン色の水の色が、つい先程まで大雨だったのが嘘のような美しさです。これも川底などが石灰岩のせいで濁らないからなのでしょうね。また、山並みとそのネレトヴァ川の光景も素晴らしいです。
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中でも、休憩で寄った所(地名不明)から眺めるネレトヴァ川の渓谷とその向こうに見える山並みと山麓の赤い屋根の家並みの光景は絶景でした。
ネレトヴァ川渓谷と山並み

ところで、この休憩地には水車があり、その奥に「豚の丸焼き」が3匹 w(*゚o゚*)w。こんな光景、日本ではまず見ることはないでしょうね。
(水車と豚の丸焼き)
焼き豚と水車

モスタルを出発してから1時間半ほどすると、山の斜面の至る所に桜のような花が咲く木々が現れ始めました。トルコ旅行の時にもよく見掛けた木です。多分、アーモンドの木でしょう。なかなか綺麗です。
(アーモンドの木々)
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そして、さらに40分ほどすると、我々のバスと並行するように走る路面電車(トラム)が現れ、その遠く向こうの丘に家々が・・・・・。どうやらサラエヴォの住宅街のようです。
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【サラエヴォ到着】
サラエヴォにはPM3:15に到着し、まずは、ラドンプラザホテルにチェックインです。ホテルは、見るからに立派で、部屋も、今回の旅行では最上級です。
ところが、ホテルのすぐ横に建つ、壁の女性の絵が描かれた洒落た建物をよく見ると、何と廃墟ですw(*゚o゚*)w。
(ラドンプラザホテルと一見洒落た廃墟のビル)
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さらには、その脇を通る道沿いに建つ建物は、完全に破壊されたままの黒焦げ状態で、ボスニア紛争の凄まじさを実感します。
(紛争で完全に破壊された黒焦げの建物群)
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【サラエヴォについて】
「サラエヴォ」といえば、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都で、同国最大の人口の都市ですが、まず頭に浮かぶのは、オーストリア皇太子の暗殺事件の現場となり、この事件によって第一次世界大戦が引き起こされたことです。
そして、1984年に冬季オリンピックが開催されたことも思い出されます。サラエヴォは、宗教的な多様性で知られており、イスラム教、正教会、カトリック教会、ユダヤ教が何世紀にもわたって共存してきたからこそ、平和の祭典であるオリンピックが開催することができたのでしょう。
それが、一転、ユーゴスラビア崩壊後に、「第二次世界大戦以降、最悪の住民虐殺があり、ヨーロッパで最も悲惨な争い」ともいわれる『ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争』が勃発し、住民虐殺などが行われたりしたのです。
今では何とか収まったようですが、民族間の遺恨はなかなか消えないでしょう。しかし、2度とそのようなことが繰り返されないことを祈るばかりです。 以上の3つが、私の頭に浮かぶサラエヴォのイメージです。
ところで、意外なことに、サラエヴォは、旅行ガイドブックの「ロンリープラネット」による世界の都市ランキングで、ドゥブロヴニクの59位を上回る43位にランクしているのだそうで、見どころたっぷりの観光都市なのだそうです。

【サラエヴォ市街観光】
さて、ホテルチェックイン後は、サラエヴォ市内観光です。
バスは、大通りをトラムと並走して、サラエヴォ中心街へと向かいますが、古ぼけたトラムが多く走っているのが目立ちます。
この大通りは、別名「スナイパーストリート(スナイパー通り)」とも呼ばれました。1992年後半から93年前半にかけてセルビア人勢力によるサラエヴォ包囲があり、ボスニア政府の軍を繰り返し攻撃しました。狙撃兵は町の周辺を歩き回っていて、このトラムも走る町のメインストリートを通ったり横切ったりする人を狙撃したりして、非常に危険になり「スナイパーストリート」と呼ばれるようになったのです。
(スナイパーストリート)
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途中、非常に目立つ黄色いビルが建っていますが、紛争当時ジャーナリストが滞在していたという「ホリディ・イン」です。
(ホリディ・イン)
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この通りに沿いは、まだまだ多くの廃墟となった建物がいっぱいあります。
(紛争で廃墟となったスナイパー通り沿いの建物)
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サラエヴォ旧市街地の東端にある国立図書館の前でバスを降り、市内観光です。何故か、ミリャッツカ川沿いに多くの若者がたむろしているのが妙に不気味です。
(国立図書館とミリャッツカ川沿いにたむろする若者達)
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また、国立図書館から遠く東方には急崖があり、その崖の上に城塞(サラエヴォ要塞)が見えますが、残念ながら予定には入っておりません(/。ヽ)。
(崖の上のサラエボ要塞を望む)
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そして、まずはミリャッツカ川に沿って西へと歩いて行き、ラテン橋へ・・・。
この橋の畔(現サラエヴォ博物館辺り)で、1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻暗殺事件(サラエヴォ事件)が発生し、第一次世界大戦のきっかけとなったことで有名ですね。そんな歴史的事件があった場所ですが、当然ながら、今では何事もなかったかのように皆が渡って行く。ただ、保護の観点からか車両の通行は禁止で歩行者専用です。また、博物館の外壁には、当時の写真などが飾られています。
(ラテン橋とサラエボ博物館)
ラテン橋とサラエヴォ博物館
(博物館外壁に飾られた写真)
博物館外壁の写真1

博物館外壁の写真2

【旧市街(バシチャルシア)へ】
そして、旧市街へと入って行きます。
バシチャルシア地図

旧市街には、セルビア正教会やカトリック大聖堂、さらにはシナゴーグ等まであるものの、雰囲気は、ほとんどイスラム世界というかトルコそのものです。
まずは「ベデステン・バザール」へ・・・。ベデステン・バザールは、服やアクセサリー、土産品等を扱った50軒ほどの小さな店が軒を連ね、イスタンブールのグランド・バザールの超小型のような雰囲気が懐かしいような商店街です。店には特に欲しいと思うようなものはありませんが、天井の造りはイスラムっぽくていいです。
(ベデステン・バザール)
01ベデステン・バザール
次はセルビア正教会へ向かったのですが、ベデステン・バザールのすぐそばに発掘調査中の古代遺跡のようなのがありましたが、何なのかは分かりません(/。ヽ)。古代遺跡ではなくて、爆撃で壊された建物の土台のコンクリートかなあ??
(古代遺跡?)
03ベデステンバザール裏の古代遺跡

03ベデステンバザール裏の古代遺跡2
そして、セルビア正教会へ。
(セルビア正教会)
05セルビア正教会 
次に向かうカトリック大聖堂への途中にはマルカレ市場がありましたが、横目で眺めていくだけです。教会には、あまり興味のない私としては、こちらへ寄りたいところですがねえ。
この市場は、元々は青空市場だったそうで、ボスニア紛争時の1994年2月5日にセルビア側から迫撃砲が撃ち込まれ市民68人が死亡した現場だそうです。現在は市場に屋根がかかっています。
(マルカレ市場)
07マルカレ市場
そして、カトリック大聖堂前で、取り敢えず写真を一枚。
(カトリック大聖堂)
09カトリック大聖堂2 09カトリック大聖堂1
その後、バシチャルシア内のメインストリート「フェルハディア通り」を通り「カジ・フスレブ・ベイ・モスク」へ・・・。
まるでトルコの街のようなバシチャルシアですが、このフェルハディア通りだけは、ヨーロッパの街並みのような雰囲気です。そして、サラエボ市唯一の歩行者天国で、サラエボっ子は、ウィンドウ・ショッピングを楽しんだり、カフェなどで交流を深めるのだそうです。
(フェルハディア通り)
11フェルハディア通り
カジ・フスレブ・ベイ・モスク周辺では、ヒジャブ(スカーフ)を被った女性は見掛けましたが、ブルカやチャドルの女性は見かけませんでした。まあ、トルコと同様、いわゆる世俗派なのでしょうね。
(カジ・フスレブ・ベイ・モスクにて)
13カジ・フスレブ・ベイ・モスク1

13カジ・フスレブ・ベイ・モスク3
その後、「モリチャ・ハン」を通って「バシチャルシア広場」へ向かいました。
モリチャ・ハンは、元々はオスマン帝国時代の1551年に建てられたキャラバンサライ(ハン)で、その後、17世紀に焼失しましたが、復元され、現在はレストランになっているようです。四方を囲むように建てられた建物の真ん中のパティオは広く、多くの人々が飲食を楽しんでいました。
(モリチャ・ハン)
15モリチャ・ハン1

15モリチャ・ハン2
その後、「バシチャルシア広場」で解散となり、多少のフリータイムが与えられたものの、先程崖の上に見えた城塞まで行くほどの時間はないので、取り敢えず「バシチャルシア」をブラブラと散策・・・。
バシチャルシアは、赤瓦葺き屋根の木造建築が所狭しと立ち並び、かつてボスニア・ヘルツェゴビナを支配したトルコ的な雰囲気が漂う旧市街にある職人街で、今は民芸品店、宝庫が軒を並べています。
(バシチャルシア広場)~右奥のドームはブルサ・バザール~
17バシチャルシア広場1

右奥に見えるのは、サラエヴォの代表的シンボル「セビリ」で独特な形状をした水汲み場です。
17バシチャルシア広場2
(バシチャルシア)
21バシチャルシア1 21バシチャルシア2

21バシチャルシア3 21バシチャルシア4

その後、中途半端に時間が余ったので、トルコ会の男3人でビールでも飲もうと店に入りましたが、女性店員さんが明るい人で、言葉は通じないものの楽しかったですよ。
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ところで、今回の旅行で困ったことの一つに通貨の違いがあります。
これまでのヨーロッパ旅行(トルコも含めて)では、チェコやハンガリーなどの例外はあったものの、ユーロさえ持っていれば、ほぼ何とでもなりました。
ところが、今回の旧ユーゴスラビア旅行は、スロベニアとモンテネグロ(公式の通貨協定によるものではないですが、ユーロが流通しています)はユーロですが、クロアチア(2013年7月にEUに加盟しましたが、ユーロ導入は当面見送るようです)はクーナ(kn)、ボスニアヘルツェゴビナはマルカ(KM)、セルビアはセルビア・ノヴィ・ディナールです。
(クロアチアのクーナとボスニアヘルツェゴビナのマルカ)
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クロアチアにおいても、多くの店でユーロが使用できますが、ホテルの夕食時にアルコールを注文する際にはクーナしか使用できず、フロントで、わざわざ換金する必要がありました。
そして、このサラエヴォでの店でも、ユーロは使えるものの、お釣りはマルカです。しかも、その換金率は相場よりかなり悪いのです w(*゚o゚*)w。まあ、物価が非常に安いので、大した問題ではありませんでしたがネ。


さて、夕食は、バスを降りた近くの店「INAT KUNA」で、鱒やチキンスープ、そしてデザートのケーキです。
店内には何故か銃や剣などが飾ってありました。勿論、紛争で使われたようなものでなく、中世のもののようですが・・・。
(INAT KUNA)
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ホテルに戻り、一旦、部屋に入ったあと、ドゥヴロブニクでも一緒に飲んだIさんと、ホテルの回転展望レストランで一杯です。レストランは、なかなか高級感があり、周囲の景色を見渡せるものの、ネオンなどの灯りもほとんどなく、殺風景そのものです(/。ヽ)。
(展望回転レストラン)
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(レストランからの眺望)
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しかし、当ホテルは、サラエヴォでは、かなり高級なようですが、安いのは有難かった。日本の居酒屋で飲むビールの半額から3分の1くらいでしょう(*^_^*)。

さて、いよいよ明日は最後の訪問先「ベオグラード」です。

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