家康の人生観の確立と一代の危地を救った寺、松平氏の菩提寺

大樹寺山門
大樹寺山門 大樹寺朱印

正式名称

成道山 松安院 大樹寺

所在地

愛知県岡崎市鴨田町広元5-1、電話0564-21-3917

宗派

浄土宗

山号

成道山(じょうどうさん)

本尊

一光千体阿弥陀如来、如意輪観世音菩薩

開基

松平親忠

札所等

三河三十三観音3番
三河新四国八十八箇所21番・22番(成道閣)

文化財等

多宝塔、如意輪観音図、大方丈障壁画(国指定重要文化財)
三門、総門、裏門、鐘楼、阿弥陀如来坐像、山越阿弥陀如来図ほか(愛知県指定文化財)

拝観

境内自由(文化財収蔵庫、位牌堂などの見学は400円)

写真撮影日

2011/08/14

歴史等

大樹寺は、文明7年(1475)に松平氏4代で安祥城主松平親忠(家康より6世の祖)が戦死者供養のため、勢誉愚底上人を開山として創建したものである。
勢誉愚底上人は親忠に浄土の奥義、結縁五重を相伝したところから、浄土宗の五重相伝根源道場として知られる。
松平元康(徳川家康)が19歳の時の永禄3年(1560)、桶狭間合戦で今川義元が倒れたので身の危険を感じ、大高城からこの大樹寺に逃れ、先祖の墓前で自害しようとしたが、13代住職登誉上人が「厭離穢土、欣求浄土」の経文(戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目)と諭して翻意させた。家康はこの8文字を終生座右の銘とした。
家康の人生観の確立と一代の危地を救った大樹寺は、家康の遺命に「位牌は三河大樹寺に祀るべきこと」とあり、徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されている。慶長7年(1602)勅願寺となる。
尚、岡崎城の天守閣と大樹寺の総門・山門・本堂は南北一直線上にあり、その直線状にマンション等の高層建築物を建てることはできない。
『「現地説明板」、「大樹寺パンフレット」他より』

現況・訪問記・感想等

私の子供時代は吉川英治作「太閤記」の時代であり、山岡荘八の「徳川家康」が出版され広く読まれるようになるまでは(或いはNHK大河ドラマになるまでかも)、秀吉が英雄で、家康は悪人だった!? その影響もあり、私は岡崎市で生まれたにも関わらず、未だに家康嫌いだ。
そのため、岡崎へ行くと必ずと言っていいほど「鰻のかも川」へ寄り、すぐ近くにある豪華な山門の前を何度も通ったにも関わらず、大樹寺へは訪れたことがなかった。
今回は、「かも川」の駐車場が満車だったため、大樹寺の駐車場をちょっと拝借し、そのついでに参拝し、ご朱印ももらった。

さて、その大樹寺であるが、さすがに「松平家・徳川家の菩提寺として1千石近い禄を受け、大樹公寺と称し、20有余の末寺を持つ東海の名刹」であるだけあり、山門をはじめ本堂や多宝塔などの建物が豪華だ。
ただ、時間に余裕がなかったので、家康の木像や等身大とされる歴代将軍の位牌が安置されている位牌堂に入館しなかったのが悔やまれるが、また出掛けるとしよう。
(2011/08/14訪れて)

ギャラリー

本堂
安政2年(1855)の火災により、本堂、庫裏、書院など主要建物が全焼。同4年(1857)13代将軍家定により2~3割減の規模で再建されたという。
IMG_5379

本堂内
本尊は阿弥陀如来、平安末期の作と云われている。「厭離穢土、欣求浄土」の大きな文字が目立つ。
onriedogongujoudo

多宝塔(国指定重要文化財)
天文4年(1535)に松平清康(家康の祖父)により建立された。一層は方形、二層は円形で、室町末期に建てられた大樹寺で最も古い建物である。
tahoutou

鐘楼
寛永18年(1641)、3代将軍家光により建立。楼上の大鐘は9代将軍家重改鋳によるもの。
IMG_5374

山門
寛永18年(1641)3代将軍徳川家光により建立。楼上には後奈良天皇の勅額「大樹寺」が掲げられている。
IMG_5372

山門下から総門を通して岡崎城を
岡崎城の天守閣と大樹寺の総門・三門・本堂は南北一直線上にあり、その直線状にマンション等の高層建築物を建てることはできない。写真奥に大樹寺小学校南門となっている総門が見え、その間から岡崎城が辛うじて見えるが、この写真では分からないですよね(苦笑)。

IMG_5382

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント