弘川寺(ひろかわでら)

西行法師終えんの地、中世には2度の戦乱の舞台にもなった

本堂(奥)と隅屋桜(手前)
 

所在地

大阪府南河内郡河南町弘川43

宗派

真言宗醍醐派準別格本山

山号

竜池山

本尊

薬師如来

開基

伝・役小角

札所等

西国薬師四十九霊場第13番
役行者霊蹟札所

文化財等

【大阪府指定有形文化財】
木造空寂上人坐像、木造弘法大師坐像、木造扁額
【大阪府指定史跡】
弘川寺境内
【大阪府指定天然記念物】
海棠(カイドウ)

拝観

【拝観時間】 10:00~17:00
【拝観料金】 300円

撮影日

2007/11/18

歴史等

天智天皇4年(665)、*役小角によって創建されたと伝えられ、 天武天皇白鳳5年(677)には、天武天皇より勅命があり、当寺に請雨を祈り、験著しかったので、「龍池山弘川寺」 の寺号を賜り勅願寺となった。
その後、天平9年(737)には行基が当寺で修行した。また、平安時代の弘仁3年(812)には弘法大師が嵯峨天皇の命によって中興し、 密教の霊場と定められた。
文治4年(1188)には、当寺の座主・空寂上人が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願している。その功により奥の院「善成寺」を建てられ、 寺号の勅額を賜わった。
翌、文治5年(1189)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。
その後南北朝時代には楠木氏の戦場となり、また戦国時代には守護職畠山氏が兄弟に分かれての戦があり、堂塔が悉く焼失した。
江戸時代に入り、西行法師を深く慕う「今西行」と呼ばれた歌僧似雲法師がこの寺を訪れ、享保17年(1733)当寺境内にその墳墓を発見し、 墓域に草庵を結んで隠棲した。
弘川寺には、樹齢350年余の海棠(カイドウ・大阪府指定天然記念物)がある。また境内には西行記念館があり、 西行直筆といわれる掛け軸をはじめ、西行法師にまつわる数多くの資料が展示されている。
『現地説明板ほか参照』

役小角(えん の おづの /おづぬ /おつの)は、 飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。実在の人物だが、伝えられる人物像は後の伝説によるところが大きい。通称を役行者(えんのぎょうじゃ) と呼ばれ修験道の開祖とされている。

現況・感想等

弘川寺は、中世には2度の戦乱の舞台にもなったという。
1度目は、南北朝期に、東方の山にあった弘川城の攻防戦で、南朝方の楠木正成の後胤とされる隅屋与市正高がこの戦いに敗れ、 全軍がこの寺に下りて奮戦の末、自刃したという。
2度目は、守護職畠山氏兄弟による河内国争奪戦で、当寺を拠点とした畠山政長を、弟義就が攻め、寛正4年(1463) 4月15日堂塔が悉く焼失したという。この戦いは、のちに応仁の乱につながっていった。
弘川寺は、そんな歴史があったとは思えないほどのんびりとした、山間の鄙びた里にある。
しかし今も、規模は特別大きくはないものの、本堂・大師堂・地蔵堂・西行堂・鐘楼・客殿・庫裏などの伽藍が揃い、 庭園も素晴らしく見応えがある。
その見事な庭を眺めながら、住職や奥様とお話をさせて戴いたが、その気さくな人柄がよく分かり、気持ちのよい時間を過ごさせてもらった (^^)。

ギャラリー

本堂

護摩堂と隅屋桜
 

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