豊国神社(とよくにじんじゃ)
豊臣秀吉を祀る神社

所在地
京都市東山区大和大路正面茶屋町530
社格
別格官幣社・別表神社
祭神
豊臣秀吉
文化財等
【国宝】 唐門
【重要文化財】 紙本着色豊国祭図六曲屏風一双(狩野内膳筆)、黄地菊桐文付紗綾胴服、唐櫃3点(桐唐草蒔絵、桐鳳凰蒔絵、桐薄蒔絵)、鉄燈篭、薙刀直シ刀無銘 伝粟田口吉光(骨喰)
拝観料
豊国神社宝物館300円、豊国廟50円
写真撮影日
1996/01/21
1997/06/15
歴史等
豊国神社は、秀吉の死去の翌年の慶長4年(1599)、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。
後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。
しかし、元和元年(1615)に豊臣家が滅亡すると、徳川幕府により神号が廃され、社領は没収、社殿は朽ちるままにされ、神体は新日吉神社にひそかに移して祀られた。
明治元年(1868)、明治天皇が大阪に行幸したとき、豊臣秀吉は天下を統一しながら幕府を作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を布告し、明治6年(1873)、別格官幣社に列格した。
明治13年(1880)、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座が行われた。
『ウィキペディアより』
現況・登城記・感想等
豊国神社(豐國神社)は、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社で、京都市東山区をはじめ、金沢市、名古屋市、大垣市(墨俣)、長浜市、大阪市、広島県廿日市市(宮島)等、秀吉の生涯に縁のある各地に鎮座する。この京都の豊国神社は「とよくにじんじゃ」と読むが、大阪や長浜は「ほうこくじんじゃ」と読むようだ。尤も、京都の豊国神社も、京の人々は「ホウコクさん」と呼んでいるようだ。
この豊国神社は、豊臣家滅亡後、徳川家により徹底的に破壊され、廃社の憂き目を見たが、明治維新後は、反徳川の象徴として再興されたという。
境内に建つ国宝唐門は桃山時代の雰囲気を色濃く伝える豪華なもので、伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の塔頭「金地院」を経て移築されたものだそうだ。その両側の石灯籠は秀吉恩顧の大名が奉献したものだそうだ。
神社手前には、惨いことだが、秀吉の朝鮮出兵時に戦功の証として討ち取った朝鮮・明国兵の耳や鼻をはなそぎし持ち帰ったものを葬ったという耳塚(鼻塚)がある。晩年の秀吉の狂気としか言いようのない行動には理解できないところがあるが、その一つで、まさに負の遺産といえるだろう。
また、背後の山・東山三十六峰の一つ阿弥陀ケ峰(196m)には豊国廟があり、豊国廟参道(女坂)を登り、そこから565段の石段を登るが、結構キツイ!
ギャラリー
大鳥居とその奥に国宝唐門 
唐門(国宝)
桃山時代の雰囲気を色濃く伝える豪華なもので、伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の塔頭「金地院」を経て移築されたものだそうだ。その両側の石灯籠は秀吉恩顧の大名が奉献したものだそうだ。 
拝殿 
【方広寺の「国家安康の鐘」 】
豊国神社の横には、方広寺が建ち、境内には豊臣家滅亡の因となった「国家安康」の鐘が残っている。「国家安康」「君臣豊楽」の銘が左上に。
慶長19年(1614)、方広寺の大梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するもの故意に曲解して読み取り、因縁をつけて、元和元年(1615)の大阪夏の陣を起こし豊臣家を滅亡させた。
この鐘は重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘の一つとされる。
慶長19年(1614)に京都三条釜座の名古屋三昌により鋳造された。大きさは高さ4.2m、外形2.8m、厚さ27cm、重さは82.7tである。 
【大仏殿石垣】
神社から方広寺にかけて、その下には大仏殿石垣がある。何ともでかい石である。もとは京都国立博物館の辺りから続いていたそうだ。こんな失敗作の写真しか残っていなかったのが、恥を忍んで掲載(汗)。 

【耳塚(鼻塚)】
神社手前には、惨いことだが、秀吉の朝鮮出兵時に戦功の証として討ち取った朝鮮・明国兵の耳や鼻をはなそぎし持ち帰ったものを葬ったという耳塚(鼻塚)がある。晩年の秀吉の狂気としか言いようのない行動には理解できないところがあるが、その一つで、まさに負の遺産といえるだろう。 
【豊国廟】
豊臣家滅亡後、徳川家により豊国神社が徹底的に破壊された時、豊国廟も取り壊されることになっていたが、秀吉の正室で豊臣家恩顧の武将たちに大きな影響力を持っていた「北政所」ねねの必死の嘆願によって破却を免れ、残されることになった。しかし、徳川幕府の目を恐れて訪れる者も絶え、荒れるに任せていた豊国廟は長い年月の間にいつしか朽ち果てて往年の姿も見る影なく失われていったという。
明治30年(1897)には豊臣秀吉公の300年忌に合わせて豊国廟の再建が行われ、山頂には秀吉供養の五輪塔が建てられた。現在、豊国廟は豊国神社の飛び地境内となっている。
(豊国廟参道)
豊国廟は、七条通りをまっすぐ東へ向かって東大路通りまで行き、ちょっと北へ上がって東へ曲がるとそこが豊国廟参道。豊国廟へは、この写真の場所から京都女子大までの坂(女坂)を登ると、豊国廟へ続く石段がある。

(豊国廟への石段)
この豊国廟へ続く石段、結構キツイ! 1996年のNHK大河ドラマ『秀吉』のトップシーン、幼い日吉丸が力一杯かけのぼっていった石段が秀吉の墓・五輪の石塔へ向かうこの石段である。この石段を登ると大きな鳥居が見えてくる。 
(大鳥居)
秀吉の墓(五輪塔)は、ここからさらに石段を登らなければならない。これより先は有料である。拝観料は50円。 
(豊国廟・五輪塔)
山頂に立つ五輪塔は高さ約10mの立派なものだ。ここまで石段はトータル565段。ただの観光気分で登ると大変な目に逢う。当時、運動不足だった私はグッタリ(苦笑)。 
