上御靈神社(かみごりょうじんじゃ)

下御霊神社と共に無実の罪等で非業の死を遂げた人の怨霊を鎮めるために創建された神社

「上御霊神社鳥居と西門」と「ご朱印」
神社のご朱印は、伊勢神宮をはじめとして、ハンコと日にちだけの簡素?なものが多いが、当神社のは若い人が丁寧に書いてくれて有難味が増す (*^_^*)。
IMG_1406 62か上御霊神社

正式名称

御靈神社

所在地

京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495

社格

府社

祭神

崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麿)
火雷神(以上六柱の荒魂。)
吉備大臣(吉備真備)

拝観

境内自由

写真撮影日

1995/05/02
1995/05/18
2011/02/24

歴史等

祭神として崇道天皇(早良親王)吉備真備 橘逸勢はじめ13柱の神霊を祀る。
この地には、はじめ付近住民の氏寺として創建された上出雲寺があったが延暦13年(794)平安京遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として、奈良時代、平安時代初期に不運のうちに薨じた八柱の神霊が祀られたといわれ、その後、明治天皇の御願により祭神五社が増祀され現在に至っている。
平安時代には天変地異や疫病流行は怨霊のたたりであるとする御霊信仰が盛んで、怨霊をなだめ祀るための御霊会が数々行われ、疫病除の霊社として名を広めた。朝廷から庶民に至るまで広く信仰を集めたが、特に御所の守護神として皇室の崇敬が厚く、神輿や牛車等、皇室からの寄付品を多数蔵している。
本殿は享保18(1733)年に下賜された賢所御殿の遺構を復元したものといわれている。
また、境内は「御霊の森」と呼ばれ、応仁元年(1467)正月18日に畠山政長と義就の合戦が行われ、応仁の乱の発端となった場所としても知られている。
『現地説明板より』

現況・感想等

上御霊神社という社名は下御霊神社に対応するもので、現在は宗教法人としての正式名を「御靈神社」としている。
かつて境内は「御霊の森」と云い、現在の約2倍あったが、応仁の乱で狭くなってしまったという。
それでも、鳥居と西門(楼門)をくぐり、境内にはいると本殿をはじめ、舞殿や高倉(絵馬堂)、その他にも稲荷社などがあり、下御霊神社などと比べるとかなり広い。毎年、行われる「御霊祭」は、平安時代の貞観5年(863)から行われており、日本最古の祭だという。5月1日の社頭之儀からはじまり、5日と12日に氏子町の子供神輿巡行、17に宵宮、そして18日の渡御之儀までが祭礼の期間である。
京都在住時代には、我が家の辺りは上御霊神社の氏子であり、18日の巡行も近くまで廻ってきたので親しみ深い。

ギャラリー

西門(楼門)
正面の西門は、堂々とした楼門で、伏見城の四脚門を移築されたものだそうだ。
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境内
楼門をくぐり境内に入ると左手に手水舎がある。かつて境内は「御霊の森」と云い、現在の約2倍あったが、応仁の乱で狭くなってしまったという。それでも、下御霊神社などと比べるとかなり広い。。
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舞殿
右奥に見えるのは拝殿。
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舞殿(御霊祭前) 95/05/02撮影
5月初めには神輿庫から出して舞殿に飾られ、寝ずの番でお守りしているそうだ。真中に出雲郷の「末廣」神輿が、右に「今出川口」の神輿が、左に「小山郷」の神輿が据えられている。
62上御霊神社拝殿神輿

社殿(拝殿・幣殿・本殿)
本殿は享保18(1733)年に下賜された賢所御殿の遺構を復元したものといわれている。
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拝殿
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高倉(絵馬堂)
絵馬堂も立派な造りで、宝暦年間(1751~63)に内裏賢所権殿を下賜されて、絵馬堂に改めたものだそうだ。
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奉納絵
掲げてある絵馬は、残念ながら、絵の剥落が激しく、多くの絵馬に何が描かれているのか分からないw(*゚o゚*)w。
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南門
御霊祭の際には、ここから神輿が出ていく。門の奥に見えるのは舞殿。
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【御霊祭巡行(1995/05/18)】
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