高雄山 神護寺 (たかおさん じんごじ)
「栂尾山高山寺」、「槙尾山西明寺」とともに三尾の名刹として知られる、紅葉の名所

正式名称
高尾山 神護国祚真言寺 (たかおさん じんごこくそしんごんじ)
所在地
京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
宗派
高野山真言宗遺迹本山
山号
高雄山
本尊
薬師如来(国宝)
開基
和気清麻呂
札所等
仏塔古寺十八尊第七番
西国薬師四十九霊場第四十四番
神仏霊場巡拝の道 第90番
文化財等
【国宝】木造薬師如来立像、絹本着色釈迦如来像、梵鐘ほか
【重要文化財】大師堂、絹本著色十二天像六曲屏風、絹本著色真言八祖像8幅ほか
拝観
【拝観時間】 9:00~16:00 年中無休
【拝観料金】 大人500円、小人200円
写真撮影日
1995/11/19
歴史等
和気清麻呂は、天応元年(781)、国家安泰を祈願し、河内に「神願寺」を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として「高雄山寺」を建立した。
神願寺の場所については、資料も乏しく、いまだ確認されていないが、その発願は和気清麻呂がかねて宇佐八幡大紳の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て、万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け、その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来している。
また、私寺として建てられた高雄山寺は、単なる和気氏の菩提寺というよりは、それまでの奈良の都市仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考えられる。
その後、清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、清麻呂の子息(弘世、真綱、仲世)が亡父の遺志を継ぎ、最澄、空海を相次いで高雄山寺に招いている。
弘世、真綱の兄弟は、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄に、高雄山寺での法華経の講演を依頼している。また、空海は唐から帰国して3年後に高雄山寺に招かれ、以後数年にわたる親交が続けられ、天台と真言の交流へと進展してゆく。
やがて天長元年(824)、真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を「神護国祚真言寺(略して神護寺)」と改め、一切を空海に付嘱し、それ以後真言宗として今日に伝えている。
神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていったが、正暦5年(994)と久安5年(1149)の2度の火災にあい、鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となった。
中世、神護寺再興に力があったのは『平家物語』などで知られる武士出身の僧・文覚(もんがく)であった。仁安3年(1168)、わずかに本尊薬師如来を風雨にさらしながら残すのみであった惨状を見た文覚は、再興の勧進を始めた。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進んだ。
文覚自身は罪を得て対馬(隠岐とする説もある)に流され、配流先で生涯を終えたが、上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれ元以上の規模に復興された。
その後も天文年中(1532~1555)の兵火や明治初年(1868)の廃仏毀釈の弾圧にも消えることなく法灯を護持している。
『神護寺ホームページ他より』
現況・訪問記・感想等
「高尾山神護寺」は、数ある京都の紅葉の名所の中でも代表的な所だが、紅葉の季節には、3年間の京都在住時代に1度しか出掛けたことがない。
それも、混雑するのを嫌い、早朝に出掛けたため、陽の光も弱く、折角の紅葉ももう一つで、かわらけ投げの記憶しか( ̄ー ̄;。
いつか光あふれるもとで、見てみたいと思ってはいるのだが・・・。
尚、神護寺といえば「源頼朝像」が教科書に載っていたものだが、今では「足利直義像」であるとする新説が強いようで、教科書からも退場?したようだ。尤も、画像を所有している神護寺は、現時点では新説を完全に否定しているとのことである。
ギャラリー
紅葉の神護寺 
背後の塔は多宝塔、多分!? 
大師堂と紅葉 
満天星ツツジ 
