常照寺境内の紅葉
DSC01805 62常照寺

京都北山鷹ケ峯の紅葉の名刹、名妓吉野太夫が帰依

所在地

京都市北区鷹峰北鷹峰町45、電話075-492-6775

宗派

日蓮宗

山号

寂光山

本尊

三宝尊

開山・開基

【開山】 日乾
【開基】 本阿弥光嵯

拝観(2011/11/23現在)

【拝観時間】 8:30~17:00
【拝観料金】 300円

写真撮影日

2011/11/23

歴史等

常照寺は、鷹峰三山と呼ぶ3つの丘陵を西に望むところにある。
当山は、元和2年(1616)3月、本阿弥光悦の土地寄進と、その子光瑳の発願によって身延山21世日蓮宗中興の祖・寂照院日乾上人を招じて開創された鷹峰檀林(学寮)の旧跡で、それ以来連綿と続き世に山城六檀林中の一偉観をなしてきた。
『パンフレットより』

現況・感想等

常照寺のある鷹峰の辺りは、本阿弥光悦一族等がこの地に住むまでは、「辻斬り追い剥ぎ強盗」の出没する物騒な土地であったといい、いろんな小説に当時の鷹ケ峰の様子が描かれている。
今では、光悦寺源光庵などとともに、紅葉の名所だが、両寺と較べると比較的観光客も少なく、境内をゆっくり見て回れる。ただ、今年は残念ながら紅葉が遅くて、もう一つというかもう三つかな(/。ヽ)
奥にお堂ができていて吉野太夫についてのビデオが流されている。そして、墓を回る周遊路ができていた。昔はそうっとお庭を拝見できただけだったと思うけど…。
また、境内の鬼子母神堂の前に設けられた、真っ赤な毛氈がかけられた椅子に座って野点のお茶をいただくことができる。
(2011/11/23訪れて)

ギャラリー

吉野門(山門)
江戸時代初期の寛永(1624~44)の頃、天下の名妓として一世を風靡し、その才色兼備を謳われた2代目吉野太夫(松田徳子)が本阿弥光悦の縁故により日乾上人にまみゆるや、その学徳に帰依し、寛永5年(1628)23歳の時、自ら巨財を投じて朱塗りの山門を寄進したのが、この吉野門である。吉野は」、和歌・連歌・俳句・書・茶湯・香道・音曲・囲碁・双六と諸芸に秀で、その美貌は唐の国にまで喧伝されたという。
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帯塚
山門をくぐると正面に本堂、右手に帯塚がある。帯塚は、女性の心の象徴「帯」に感謝し祈りを捧げる全国初の帯塚で、毎年5月には帯の時代風俗行列や帯供養が営まれる。造園界の権威者中根金作氏の作品によって苔をもって鷹峰三山を表現したもので、塚石は、四国・吉野川産で珍しい帯状をなしている。
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本堂
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境内回遊路案内板
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開山廟
本堂の奥裏手に墓地があり、その中央の建物に日乾上人の五輪塔の墓が祀られている。ケヤキの扉には珍しい形の57の桐が彫刻されている。
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吉野太夫の墓
吉野太夫は寛永20年8月25日、38歳で病没した。遺言により、日乾上人廟の裏手に葬られている。この地を訪れる、歌舞伎俳優や芸能人、数寄者が多いという。
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遺芳庵茶席と吉野窓
墓地の北側の谷を望むところに、吉野太夫が好んだ大丸窓(俗称吉野窓)を配した遺芳庵がある。毎月、佳人を偲んで釜がかけられて賑わうという。
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謎の櫓が・・・??
北側の谷の下を見ると、ややっw(*゚o゚*)w!! 櫓風の謎の建物が建っているのが見える。興味があったが、今回、他の人は、そんなものには興味がないので降りていくのは止めた。それにしても何だろう??
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鬼子母神堂前の紅葉
紅葉は、まだ3分といった感じだが、緑と赤が入り混じった紅葉と苔の緑のコラボもそれなりにいいものだ。
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鬼子母神堂前で
鬼子母神堂の前に設けられた、真っ赤な毛氈がかけられた椅子に座って野点のお茶をいただける。
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