廬山寺(ろざんじ)

紫式部邸跡に建つ寺院、節分の鬼の法楽(鬼踊り)で有名、秀吉による「お土居跡」も残る

廬山寺三門  
 IMG_1361 62ろ廬山寺071222

所在地

京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397

正式名称

廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)

宗派

天台系円浄宗大本山

山号

日本廬山

本尊

阿弥陀如来

開基

良源(元三大師、慈恵大師)

札所等

洛陽三十三所観音霊場第32番
京都七福神3番(毘沙門天)

文化財等

慈恵大師筆遺告(国宝、東京国立博物館寄託)
絹本著色普賢十羅刹女像・後伏見天皇宸翰願文ほか(重文)

拝観

【拝観時間】 9:00~16:00
【拝観料】 500円

写真撮影日

1997/02/03
2002/07/19
2011/02/24

歴史等

廬山寺は、比叡山延暦寺の中興の祖である慈恵大師良源(元三大師)が天慶元年(938)に船岡山南麓に開いた興願金剛院に始まる。
寛元3年(1245)、法然上人に帰依した住心覚瑜上人が出雲路に廬山寺を開き、この2ケ寺を兼務した明導照源上人によって、廬山寺を興願金剛院に統合し、円、浄土、戒、密の四宗兼学寺院となった。また寺名を「廬山天台講寺」と改めた。
その後、応仁の兵火に遭い、天正元年(1573)、豊臣秀吉の寺町建設によって当地に移った。
宝永5年(1708)と天明8年(1788)、京都の大火で堂舎を類焼したが、代々歴朝の帰依が厚く、寛政6年(1794)に禁裏、仙洞、女院の御下賜をもって再建されたのが現在の本堂である。
年中行事として、鬼の法楽と呼ばれる節分会の悪疫退散の行事が有名である。
また、昭和40年(1965)に考古・歴史学者角田文衞により紫式部邸跡とされた。
『現地説明板3基ほかより』

現況・感想等

京都へ転勤になった1994年頃は、神社仏閣には全く興味がなかった私であるが、紫式部邸跡であるということと、秀吉によって築かれたお土居の一部が残っているというので出掛けた。
本堂前の源氏庭と称する庭園は、白砂と苔にキキョウの花が清々しい。
また、2月3日の「 節分会鬼法楽(鬼踊り)」も面白い。

ギャラリー

本堂
寛政6年(1794)光格天皇の命により仙洞御所から移築したと伝える。本尊の恵心僧都の作と伝える阿弥陀三尊(阿弥陀如来、右脇侍勢至菩薩、左脇侍観音菩薩)が安置されている。
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源氏庭

紫式部・大貮三位歌碑
境内に、紫式部・大貮三位(紫式部の娘)の歌碑が建てられている。
紫式部 「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
大貮三位 「有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」
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お土居①
豊臣秀吉は、天正18年(1590)、洛中のあちこちにあった寺院を移転させ、寺町通を形成した。そして、京の町の周囲を約23kmにも及ぶ「御土居堀(おどいほり)」で囲み、御土居堀の内側を「洛中」、外側を「洛外」に分け、洛中と洛外の往来は、京の七口という関所を設けた。そのお土居の跡が、廬山寺裏の墓地に残っている。お土居は、他に、北野天満宮と紙屋川との間などにも残っている。
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お土居②
お土居は、高さ約4m前後あり、また当時のものかどうかは分からないが、側面の一部に石積みが確認できる。
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節分会鬼法楽(鬼踊り)

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