寶筐院(ほうきょういん)
室町幕府2代将軍・足利義詮と南朝の忠臣・楠木正行の菩提寺
寶筐院回遊式庭園

所在地
京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1、電話075-861-0610
宗派
臨済宗
山号
善入山(ぜんにゅうざん)
本尊
木造十一面千手観世音菩薩立像
開基
白河天皇
【中興開山】 黙庵周諭禅師
拝観
【拝観時間】 9:00~17:00
【拝観料金】 400円
歴史等
寶筐院は、平安時代に白河天皇(1053~1129)の勅願寺として建立され、善入寺と名付けられた勅願寺とは、
勅願によって鎮護国家・玉体安穏のために建立された寺のことをいい、東大寺・大安寺・薬師寺などがこれに当たる。
平安の末から鎌倉時代にかけては、数代にわたって皇族が入寺し、住持となった。
南北朝時代になり、貞和年間(1345~50)から夢窓国師の高弟である黙庵周諭禅師が入寺し、衰退していた寺を復興させ、中興開山となり、
門弟の教化を盛んにし、これ以後は臨済宗の寺院となった。そして、黙庵に帰依した足利幕府2代将軍・足利義詮によって伽藍整備がなされた。
貞治5年(1366)に「観林寺」と改称されたが、まもなくもとの「善入寺」に戻された。
南朝の忠臣・楠木正行もまた黙庵に帰依しており、彼が正平3年/貞和4年(1348)の四條畷の戦いにおいて足利方の高師直・
師泰兄弟と戦って討死した後は、黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られた。後に、この話を黙庵から聞いた義詮は、
正行の人柄を褒め称え、自分もその傍らに葬るよう頼んだという。
貞治5年(1367)、義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となり、正行の墓(五輪石塔)の隣の墓(宝筐印塔)に葬られた。そして、
8代将軍義政の代になって義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名は「宝筐院」と改められた。
寶筐院は、備中・周防などに寺領があり、足利幕府歴代の保護もあって寺も隆盛であったが、応仁の乱以後は、
幕府の衰えと共に寺院も衰微していった。
江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院となり、幕末には廃寺となったが、50数年を経て復興された。
『パンフレット等より』
現況・感想等
宝筐院は、嵯峨野巡りの出発点で、清涼寺の近くの小さな寺である。
室町幕府2代将軍足利義詮と楠木正成の子正行(まさつら)の菩提寺で、清涼寺の前に手の印がついた
「つきあたり・小楠公御首塚の寺」の道標が「源融公栖霞観地小倉山」・「二尊院西二町」、「嵯峨帝陵東北十六町」、「御室・北野方面」
などの道標と並んで立っている。
宝筐院の見所は、本堂の南にある回遊式庭園だろう。苔の緑と紅葉のコラボはなかなかのものだ。
ギャラリー
立ち並ぶ道標
この辺りは、まさに寺院銀座?で、清涼寺の前には手の印がついた
「つきあたり・小楠公御首塚の寺」の道標が「源融公栖霞観地小倉山」・「二尊院西二町」、「嵯峨帝陵東北十六町」、「御室・北野方面」
などの道標と並んで立っている。
門前の石碑には「小楠公菩提寺 寶筐院」とある。
庭園
宝筐院の見所は、本堂の南にある回遊式庭園だろう。苔の緑と紅葉のコラボはなかなかのものだ。

