真如堂(しんにょどう)

女性の深い帰依を得てきた天台宗寺院、京都でも紅葉の名所として名高い

総門(赤門)
 

正式名称

鈴聲山 真正極楽寺 (れいしょうざん しんしょうごくらくじ)

通称

真如堂
※一般には「真如堂」と呼ばれているが、それはもともとは本堂の呼び名であった。

所在地

京都市左京区浄土寺真如町82

宗派

天台宗

山号

鈴聲山(れいしょうざん)

本尊

阿弥陀如来(重要文化財)

開基

戒算

札所等

洛陽三十三所観音霊場五番(新長谷寺)

文化財

【国宝】 法華経 自巻第二至巻第七 6巻(寿永二年運慶願経)
【重要文化財】 本堂、絹本著色普賢菩薩像、紙本著色真如堂縁起-3巻、木造阿弥陀如来立像、慈円僧正消息

拝観

境内は常時開放
【涅槃の庭】
(拝観時間) 9:00~16:00
(拝観料)  大人500円 高校生300円 中学生200円 小学生無料

写真撮影日

1995/11/02
2001/11/22
2005/12/05

最終拝観日

2005/12/05

歴史等

永観2年(984)比叡山の僧である戒算が、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来(慈覚大師作)を東三條女院(藤原詮子、円融天皇の女御・ 一條天皇の生母)の離宮があった現在の地に移して安置したのが、真如堂の始まりである。
その後、一條天皇の勅願寺となり、また不断念仏の道場として、浄土宗の開祖法然上人や浄土真宗の開祖親鸞聖人をはじめとする多くの念仏行者、 多くの民衆の厚い信仰を集め、ことに女性の非常に深い帰依を得てきた。
しかし、応仁の乱(1467~77)の時、この辺り一帯が東陣となり、その戦火で堂塔は焼失し、本尊は比叡山の黒谷、滋賀県穴太に避難した。
その後も、足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何ケ所かを転々としたのち、ようやく元禄6年(1693)東山天皇の勅により、旧地 (現在の場所)に戻り再建された。
『真如堂公式ホームページ他参照』

現況・感想等

真如堂の見どころは、何と言っても萌えるような紅葉であろう。
広い境内のあらゆる処が真っ赤に染まる光景は見事だ。正式名称の真正極楽寺とは、「極楽寺という寺は多いけれど、 こここそが正真正銘の極楽の寺である」という意味だそうだが、この紅葉を見れば、それも頷ける。

ギャラリー

総門(赤門)
元禄年間に建立された真如堂の総門で、赤く塗られているところから「赤門」と呼ばれている。敷居がないのは、 神楽岡の神々が毎夜当寺に参詣する際につまずかないようするためとの伝説があるそうだ。

本堂(重要文化財)
享保2年(1717)の建立。本堂(真如堂)には本尊の阿弥陀如来像(慈覚大師円仁作)が安置されている。 この阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、 特に女性をお救い下され」と祈ると頷いたという伝説がある。

本堂脇の紅葉  ~2001/11/22~
 

三重塔(法華塔)と紅葉   ~2001/11/22~
三重塔は、宝暦年間(1751~1763)に建立されたが、文化14年(1817)に再建され、 さらに昭和9年に修理が加えられた。その時、奉安されていた四天王像が腐食していたために、新たに多宝塔を安置し、現在に至っている。 総じて装飾が控えめで、古い塔の面影を残している。本瓦葺で、高さは約30メートル。京都府の文化財に指定されている。

鐘楼堂と紅葉
境内と墓地の境目にある鐘楼堂は、妻造り本瓦葺で、元禄年間の建立時には極彩色だったといい、 今も部分的に彩色の跡が残っている。梵鐘は宝暦9年(1759)造営で、直径約1.71m、高さ約2.85m、重さ約3.1トンある。

萬霊堂と紅葉
真如堂は三井家の菩提寺である。萬霊堂は、三井家によって建立され、 地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っている。

真っ赤な紅葉の絨毯
上写真もそうだが、12月初旬に来ると、紅葉と赤い落ち葉の絨毯の両方が見られ、それは見事なものだ(^^)

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