金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
法然が開基の浄土宗最初の寺院、幕末には京都守護職会津藩の本陣が置かれた
金戒光明寺正門(高麗門)
通称「くろ谷さん」の名で呼ばれる金戒光明寺。正門の前にも「くろ谷」と刻まれた石柱が立つ。
山門の扁額にある、後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」が朱印にも書かれている。

通称
くろ谷さん(くろたにさん)
所在地
京都市左京区黒谷町121、電話075-771-2204
宗派
浄土宗
山号
紫雲山(しうんざん)
本尊
阿弥陀如来
開基
法然上人(源空)
札所等
法然上人二十五霊跡 第24番
洛陽三十三所観音霊場 第6番
文化財
【重要文化財】 文殊塔(三重塔)、木造千手観音立像、山越阿弥陀図・地獄極楽図
拝観
【拝観時間】 9:00~16:00 境内拝観自由(庭や三門等々、特別拝観時は別途)
写真撮影日
1995/11/02
2001/11/22
2005/12/05
歴史等
承安5年(1175)春、法然が比叡山の黒谷を下った。
その後、岡を歩くと、大きな石があり、法然はその上で念仏を唱えると、その石から紫の雲が全山にみなぎり、光明があたりを照らしたことから、
この地に草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされ、浄土宗最初の寺院となった。
ここは、もとは「栗原岡」とよばれる比叡山延暦寺黒谷の所領で、
「白川禅房」があったところで、法然上人が師の叡空上人からこの禅房を与えられ、念仏の道場を開いたのである。後に法然は信空に、
この黒谷の本房と白川の本房を与え、信空はこの地に住んだ。
第5世恵顗の時に堂を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り、
金戒光明寺と呼ぶようになった。
江戸初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに城郭構造に改められた。
幕末の文久2年(1862)、会津藩主松平容保が京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,
000人が京都に常駐し1年おきに交替した。
第二次大戦後「黒谷浄土宗」として一派独立したが、現在は浄土宗に合流し七大本山の一翼を担っている。
『「京都の謎・幕末維新編、高野澄著(祥伝社刊)」、「フリー百科事典・ウィキペディア(Wikipedia)」他参照』
現況・感想等
金戒光明寺といえば、誰しも頭に浮かぶのは、京都守護職で会津藩主の松平容保であろう。
金戒光明寺は、京都守護職会津藩の本陣が置かれただけあって、ほかの京都の寺院とは違い質実剛健という言葉がぴったりの寺院で、境内には、
紅葉もあるにはあるが、松の緑の方が印象に残る。
そんな境内を、会津藩と新撰組のことを考えながら廻るのも一興であろうか?
ギャラリー
正門(高麗門)
山門
応仁の乱で焼失し、万延元年(1860)に再建された。後小松天皇の「浄土真宗最初門」の額がかかる。
御影堂(本堂)
直実鎧掛けの松
熊谷直実が鎧を洗いそれを掛けたという松。もとの松は枯れたが、それを引き継いだ二代目である。
平成15年に京都市指定保存樹。
方丈の庭(1995/11/02、特別拝観時)

栄摂院(えいしょういん)
金戒光明寺には搭頭がいくつかあるが、この栄摂院の前を通って、門の中を見ると、なかなかの庭で、
紅葉も綺麗だったので、ちょっと一枚。
