曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)
比叡山の一坊を起源とする門跡寺院、門主は北野天満宮別当職も歴任した
書院前の枯山水庭園(亀島)と紅葉

別称
竹内門跡
所在地
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
宗派
天台宗
山号
なし
本尊
阿弥陀如来
開基
是算
札所等
近畿三十六不動尊17番
文化財等
【国宝】 黄不動画像・古今和歌集(曼殊院本)1巻
【重要文化財】 大書院・小書院・木造慈恵大師坐像ほか
【名勝】 庭園
拝観
【拝観時間】 9:00~17:00(入場16:30まで)
【拝観料金】 大人500円、高校生400円、小中学生300円
撮影日
2004/11/29
歴史等
曼殊院は、寺伝では延暦年間(782~806)、伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。
10世紀後半の僧である是算国師の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したという。
また是算国師が菅原家の出生であったことから、北野天満宮が造営されると、
初代別当職に補され、以後、明治維新まで曼殊院門主が北野別当職を歴任することとなった。寺では、是算国師を曼殊院初代としている。
天仁年間(1108~10)に8代忠尋大僧正が、寺号を「曼殊院」と改め、北山に本拠を移したが、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)
造営のため移転を余儀なくされ、康暦年間(1379~81)、洛中(相国寺の南方、京都御苑内に相当)に移転した。
明応4年(1495)頃、後土御門天皇の猶子である大僧正慈運法親王が26世門主として入寺して以降、
曼殊院は代々皇族が門主を務めることが慣例となり、宮門跡としての地位が確立した。
そして、明暦2年(1656)、29代門主の良尚法親王が、東山山麓の現在地に移し、寺観を整えた。現存する大書院(本堂)、
小書院などはこの時のものである。
現況・感想等
曼殊院は、私は、その季節に訪れたことがないが、真っ赤に萌えるような霧島ツツジが見事だそうだ。
しかし、小堀遠州の作といわれる枯山水庭園や白壁周辺の紅葉も見事で、ちょっとした隠れた紅葉の名所でもある。隠れた名所でなく有名?(汗)
ギャラリー
勅使門と紅葉
勅使門横の白壁と紅葉
枯山水庭園(左は小書院、右は亀島)
水の流れを表わした砂の中に鶴島と亀島があり小書院は水面をさかのぼる尾形舟を表現しているのだそうだ。
背後の紅葉が見事だ。
紅葉・紅葉・紅葉・・・・


