古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)

隠れた紅葉の名所、ミイラ仏が収められた山寺

山門
古知谷阿弥陀寺 山門  

所在地

京都市左京区大原古知平町83 電話075-744-2048

正式名称

光明山法国院阿弥陀寺

宗派

浄土宗知恩院派

山号

光明山

本尊

当寺開山上人弾誓の自作自像植髪像と伝えられる

開基

弾誓(たんぜい)

文化財

木彫阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)

拝観

【拝観時間】9:00~16:30
【拝観料】大人300円

概要

光明山法国院阿弥陀寺は、慶長14年(1609)3月、弾誓(たんぜい)上人が開基なされた如法念佛の道場です。
弾誓上人は、尾張国海辺村に生まれた方ですが9歳の折に自ら出家し、美濃国塚尾の観音堂に参篭し、さらに同国武芸の山奥において念佛三昧、 二十余年の修行を積みました。その後、諸国行脚で各地を回って苦行修練を重ねた末、 ついに佐渡ヶ島の檀特山において生身の阿弥陀仏を拝し得ました。そして、そこで授かったのが他力念佛の深義と、 帰命十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏という尊号です。
その後、上人は信濃国の唐沢山および相模国塔ノ峰において法益をすすめていましたが、ようやく時節が到来して、最後の地、 古知谷へ赴きました。
古知谷に入った上人は、山中深く分け入り、岩穴に住し念佛三昧の日々を送っておりましたが近江国伊香立村の人達との御縁で、 この地に一寺を建立し、本尊佛としては、上人が求め続けた人間としての理想像を草刈り鎌にて刻み、自身の頭髪を植え、 これを本尊として本堂に安置し、寺の名を「光明山 法国院 阿弥陀寺」と付けました。
弾誓上人は、この阿弥陀寺に在住して4年後の慶長18年(1613)5月23日正午、62歳で入定示寂なされました。
この弾誓上人におくれること100年、近江国平子山にあって念佛三昧を続けていた澄禅(ちょうぜん)上人は、 弾誓上人の行跡を慕って当山に入り、本坊から四町ほど上の岩穴にて常坐不臥称名念佛すること5年の後、享保6年(1721) 2月4日に入定されました。時に70歳。
『パンフレットより』

現況・感想等

阿弥陀寺は、大原三千院から、さらに3kmほど北の山中にあり、深閑としている。
知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない紅葉の名所だそうで(私は、行くまで全く知らなかったが)、 参道南側にある高さ70mにも及ぶ樹齢800年近い古知谷カエデの老木を中心にタカオカエデ(イロハモミジ)の木が300近く生えている。 しかも、その多くが背の高い巨木である。紅葉の季節に来たら、さぞかし見事なことだろう。
また、この寺はミイラ仏がある寺としても有名だそうで、本堂横の石廟に安置されている。ちょっと私は薄気味悪かったが・・・(汗)。

ギャラリー

古知谷カエデ
山門前の駐車場に車を置いて、杉並木の参道を登って来ると古知谷カエデ(タカオカエデ、イロハモミジとも) の木々が出迎えてくれる。その数300という。しかも、そのほとんどが巨木である。中でも、参道南側にある天然記念物の老木(樹齢800年、 1996/10/20には760年と書いてあった)は、高さ70m近くあるのでは?
 

本堂

弾誓上人のミイラ仏が納められた石廟
この岩窟は弾誓上人が入定する1年前に当寺で修行中の僧らに頼んで掘らせたものである。 上人は石棺の真下に掘ってある二重の石龕(せきがん)に生きたまま入り「ミイラ仏」となった。明治15年に、この石棺が収められるとき、 「ミイラ仏」も下から出して、現在はこの石棺に収めてあるそうだ。ちょっと薄気味悪い(汗)

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