南禅寺(なんぜんじ)
南禅寺境内の真っ赤な紅葉の絨毯

正式名称
瑞龍山太平興国南禅禅寺(ずいりゅうざんたいへいこうこくなんぜんぜんじ)
所在地
京都市左京区南禅寺福地町86
宗派
臨済宗南禅寺派大本山、京都五山および鎌倉五山の別格上位
山号
瑞龍山(ずいりゅうざん)
本尊
釈迦如来
開基・開山
開基:亀山法皇
開山:無関普門
文化財等
【国宝】
方丈、亀山天皇宸翰禅林寺御祈願文案、渓陰小築図、秋景冬景山水図
【重要文化財】
三門、勅使門、絹本著色釈迦十六善神像、絹本著色大明国師像、絹本著色大明国師像、南院国師像2幅(絹本著色 一、紙本著色 一)、
絹本著色仏涅槃図、絹本墨画聖僧文殊像、紙本墨画達磨像・祥啓筆、絹本墨画江山漁舟図・蒋三松筆、絹本淡彩薬山李翺問答図、紙本著色群虎図
(小方丈障壁画)伝狩野探幽筆 虎ノ間襖及貼付40枚、木造聖観音立像、鎌倉彫牡丹模様香盒、南禅寺一切経5822帖、
清涼殿拝領由緒書6幅、南禅寺仏殿指図、大方丈障壁画ほか多数
【史跡】
境内
【名勝】
方丈庭園
拝観
【拝観時間】
12月1日 ~ 2月28日 午前8時40分~午後4時30分
3月 1日 ~ 11月30日 午前8時40分~午後5時
※ 拝観受付は拝観時間終了の20分前までとします。
※ 年末(12月28日~31日)は一般の拝観をお断りします。
※ 年始は休みません。
【拝観志納金】
(境内) 無料
(方丈庭園) 一般500円、高校生400円、小中学生300円
(三門) 一般500円、高校生400円、小中学生300円
(南禅院) 一般300円、高校生250円、小中学生150円
歴史等
南禅寺の建立以前、この地には、後嵯峨天皇が造営した離宮の禅林寺殿があった。「禅林寺殿」の名は、
南禅寺の北に現存する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)に由来する。この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、うち
「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した。現存する南禅寺の塔頭・南禅院はその後身である。
亀山天皇は建長元年(1249)、後嵯峨上皇の皇子として誕生し、10歳にして皇位に就き、正応2年(1289)、40歳の時に落飾
(剃髪して仏門に入る)して法皇となった。
そして、2年後の正応4年(1291)、法皇は禅林寺殿を寺にあらため、当時80歳の無関普門を開山として、これを「龍安山禅林禅寺」
と名づけた。
無関が間もなく死去するに伴い、南禅寺伽藍の建設は二世住職の規庵祖円(南院国師)が指揮し、永仁7年(1299)頃に寺観が整った。
そして、正安年間(1299~1302)に、当初の「龍安山禅林禅寺」を「太平興国南禅禅寺」という寺号に改めた。
尚、正中2年(1325)には夢窓疎石が当寺に住している。
建武元年(1344)、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一としたが、至徳3年(1385)に足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を
「別格」として五山のさらに上に位置づけ、京都五山と鎌倉五山に分割した。
室町時代には旧仏教勢力の延暦寺や三井寺と対立して政治問題に発展、管領の細川頼之が調停に乗り出している。
また、明徳4年(1393)と文安4年(1447)に火災に見舞われ、主要伽藍を焼失したものの、ほどなく再建したが、応仁元年(1467)
、応仁の乱の市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建も思うにまかせなかったが、江戸時代になって、慶長10年(1605)
に入寺した金地院崇伝により復興した。
崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。そして、幕府から「僧録」
という地位を与えられたが、これは日本全国の臨済宗寺院の元締めにあたる役職である。
大方丈(国宝)は、天正年間に豊臣秀吉が建造寄進した御所の清涼殿を慶長16年(1611)移築したものであり、小方丈(国宝)
は伏見城の小書院を移築したもので、
襖絵は狩野元信・永徳・探幽の名筆で、小堀遠州作の方丈前庭(名勝)の枯山水の美しさとともに有名である。
『「フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)」、「パンフレット」他参照』
現況・訪問記・感想等
南禅寺といえば、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で「五山之上」とされ、
日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもち、日本文化史上重要な役割を果たした禅僧が歴代住持として住山し、
五山文学の中心として栄えた寺院である。
そして、今も、国宝の方丈をはじめとして、日本三大門の一つで、俗説ではあるが、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな!」
と大見得を切る舞台となったことで知られる三門など多くの重要文化財建築物が残る。
さらには、国指定史跡の境内や国指定名勝の方丈庭園等々、見どころがいっぱいな上、秋の紅葉も見事で、京都在住時代にはよく出掛けたものだ
(^^)。
ところが、今になって写真を整理していたら、方丈や方丈庭園はおろか、法搭さえ撮ってないことに気がついた。また、
三門もろくな写真が残っていない。
一方、南禅寺境内の水路閣やインクライン等々の写真は、訪問の度に、毎回撮っている。当時は、寺院よりも、琵琶湖の水を京都市内に運び、
さらには疎水に落差を付けて水力発電をするという明治時代の画期的な事業の方が興味深かったようだ!?
南禅寺へは、また出掛けることもあるだろうから、その時にでも写真を撮ろう(苦笑)。
ギャラリー
三門
南禅寺の三門は、高さ22mあり、知恩院の三門(高さ24m)と山梨・久遠寺の三門(高さ21m)
とともに日本三大門に数えられ、国の重要文化財に指定されている。現在の三門は、藤堂高虎が寛永5年(1628)
大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したもので、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示している。
別名を天下竜門といい、上層の楼を五鳳楼と呼ぶ。
歌舞伎「楼門五三桐」で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな!」と大見得を切る舞台となったことで知られるが、
石川五右衛門が釜ゆでの刑にされた30年後に建立されたので、史実ではない(笑)。
南禅寺へは、何度も出掛けたにも関わらず、方丈や法搭をはじめとして建築物の写真がほとんどない(汗)。かの有名な三門でさえ、自分と息子
(次男)が写っている写真しかなかった(苦笑)

三門の前の紅葉
参道の北側に「この門を入れば涼風おのづから」森永湛堂老師(1900~1975)の句碑がある。
いうまでもなく、この門とは三門のことをさす。

境内(三門と法搭の間)の真っ赤な紅葉の絨毯(2005/12/05)
紅葉には、ちょっと遅目だったが、真っ赤な紅葉の絨毯が本当に見事だ。TOP写真も同じ場所。
琵琶湖疎水の水路閣
南禅寺の境内に赤レンガのアーチが造られている。これは、琵琶湖の水を京都に流す「琵琶湖疎水」
が通る水道橋で、正式には水路閣(すいろかく)と言い、古代ローマ時代の水道橋を参考に明治時代に建設された。
水路閣の上
水路閣の上は、疎水沿いに歩ける遊歩道になっており、春には桜、秋には紅葉が美しい散策コースになっており、
インクラインの方まで続いている。

インクライン(傾斜鉄道)
疎水に落差を付けて水力発電をするという明治時代の画期的な事業。
落差が付いた疎水を上流に運ぶための鉄道がインクラインである。写真のように舟を載せて運ぶ。

