観音正寺(かんのんしょうじ)

聖徳太子自刻の千手観音を祀ったのに始まる?六角氏の庇護で栄えたが信長に焼き討ちに

 

所在地

近江八幡市安土町石寺2

宗派

天台宗

山号

繖山(きぬがささん)

本尊

千手観音

開基

伝・聖徳太子

札所等

西国三十三箇所32番

撮影日

1997/08/02

歴史等

伝承によれば、推古天皇13年(605)、聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるという。
観音正寺が位置する繖山には、室町時代以来近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城である観音寺城があり、 寺は佐々木六角氏の庇護を得て栄えた。観音寺城は永禄11年 (1568)、織田信長の軍勢に攻められて落城。数年後には佐々木六角氏所縁の観音正寺も焼き討ちに遭い、全焼した。
再興されたのは慶長年間(1596~1615)のことである。
観音正寺の本堂は平成5年(1993)に失火で焼失した。交通不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、 重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失してしまった。
現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004)に再建されたもので、新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作である。
像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、 たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものであるという。
ウィキペディアより』

現況・感想等

観音正寺は、佐々木六角氏の居城で、全国屈指の規模の中世山城「観音寺城」 にあり、城フェチの私にとって観音寺城は登城必須の城址であり、 そのついでに2度ほど訪れた。
観音正寺へは、車ですぐ近くまで登って行けるが、山腹にある桑実寺や観音寺城の大手道から長く続く石段を登って行くこともできる。
観音寺城は、 安土城よりも早く石垣が多用された城郭であり、 観音正寺にも多くの石垣が使われている。
勿論、寺院そのものも立派なものではあるが、観音寺城は、 全山に散在する曲輪と家臣団の邸跡の総数が1000を超える壮大な山城であり、それらを廻るのに手一杯で、ご朱印を貰うくらいがやっとだ (汗)。

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