百済寺(ひゃくさいじ)

湖東三山の一つ、宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国」と絶賛した聖徳太子創建の古刹

百済寺表参道の苔むした石垣と紅葉

所在地

滋賀県東近江市百済寺町323、電話0749-46-1036

宗派

天台宗

山号

釈迦山(しゃかさん)

本尊

十一面観音

開基

伝・聖徳太子

札所等

近江西国16番

文化財

本堂、絹本着色日吉山王曼荼羅図他3件(以上、国指定重要文化財)
百済寺境内(国指定史跡)

拝観

【拝観時間】 8:00~17:00
【拝観料金】 大人500円、中学生300円、小人100円

概要

寺伝によれば、推古天皇14年(606)に、聖徳太子の御願により創建された古刹で開創当時の本尊は太子自作の「植木の観音」であったと伝えられる。
聖徳太子は当時来朝していた「慧慈(えじ)」(百済へ亡命した高句麗僧)とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるといい、開山に当たっては慧慈を咒願とし、その後の供養には百済の僧を任せた。百済の龍雲寺を模して寺を建てたので百済寺と号したという。
その後、時代は移り、平安時代に比叡山に天台宗が開創されると、やがて百済寺も天台宗の寺院となり、その規模は拡大され、湖東の小叡山と称されたほど壮大な寺院になった。現在の本尊は、この頃に造立された「十一面観世音菩薩(藤原時代)」である。
このように、平安時代から鎌倉時代に至る間の百済寺は、非常に荘厳且つ大規模な寺院であったが、明応7年(1498)自火により本堂付近の建物を焼失、その数年後の文亀3年(1503)には戦乱による災厄に遭い、創建以来の建物や、仏像、寺宝、記録類などの多くを焼失したが。当時はなお再興し得る勢力を保っていた。
しかし、元亀元年(1570)秋、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏が、織田信長に抗して、観音寺城の支城である鯰江城に入ると、百済寺衆徒は寺内にその妻子を預かり、兵糧を送り援護した為、これを知った信長により一山悉く焼かれてしまった。
天正12年(1584)、百済寺は、堀秀政により仮本堂が建てられ、慶長7年(1602)に至って146石5斗の地を寺領として免除され、一山の坊舎もその数を増やし、漸く復興に向かった。
その後、寛永年間に改建を勅許され、住僧等は諸国に勧進し、土居利勝・酒井忠勝・春日局等多くの援助を得て、慶安3年(1650)、本堂・仁王門・山門等が竣工した。これが現在の建築物である。
『パンフレット等より』

現況・感想等

金剛輪寺、西明寺と共に天台宗の古刹で湖東三山と称されている。三山の中でも歴史が最も古く謎に満ちた寺院で、他の二山とは全く異なる雰囲気を漂わせている。
城郭寺院としても機能していただけあって、高さ5mほどある見事な高石垣が築かれている。その高石垣上の平坦地に本坊の喜見院があり、その本坊内庭園は、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で見事なものだ。
そこから石段を登って行くと仁王門、さらに登ったところに本堂が建っている。本堂は、入母屋造、檜皮葺きで、江戸時代初期の慶安3年(1650)再興だそうで、仁王門とともに歴史を感じさせてくれ、見応えがある。
しかし、百済寺で最も感激したのは、紅葉の素晴らしさである。中でも、表参道の両側に続く苔むした石垣と紅葉のコラボは言葉に表わせないほどの景観だ。是非、秋の紅葉の季節の参詣をお薦めする。
(1997/08/01、2004/11/27訪れて)

写真撮影日

1997/08/01
2004/11/27
2011/11/22

ギャラリー

赤門
百済寺の参道の入口の山門で、朱塗りのために通称赤門と呼ばれている。この門も本堂と同じ慶安3年(1650)に建立された。

表参道
表参道の両側に続く苔むした石垣と紅葉のコラボは言葉に表わせないほどの景観だ。

高石垣
城郭寺院としても機能していただけあって、高さ5mほどある見事な高石垣が築かれている。尚、一段下の石垣と紅葉の写真は、この写真の右側部分である。
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高石垣と紅葉
高石垣の右端上の黄色いモミジも見事である。

庭園から喜見院と近江遠望
高石垣の上は広い平坦地になっており、本坊の喜見院が。その本坊内庭園は、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の見事な庭園だ。別名「天下遠望の名園」と称され、西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望めるが、残念ながら、写真ではちょっと無理! 
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本坊内庭園と喜見院

本坊内庭園の紅葉

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本坊内庭園

本坊内庭園の池の鯉
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仁王門
喜見院から背後の山へ登って行くと仁王門へ出る。仁王門は、本堂と同じ年代に建立された。一対の金剛力士像が向きあっている。正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると昔から言い伝えられているそうだ。
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本堂
仁王門から、さらに少し登ると本堂へ出る。本堂は海抜350mの地にあるそうだ。表参道の入口「赤門」からは結構な距離だ。本堂は室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、文亀3年(1503)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573)全山焼失した。慶安3年(1650)現在の本堂が竣工した。現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられている。内部に外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の十一面観音立像(平安時代)を安置している。
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鐘楼
本堂脇の鐘は、昭和の名鐘と云われる鐘で、寸志を出すことにより突かせてもえらえる。勿論、突いてみた。余韻が良く残るいい鐘の音だった。
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