石山寺(いしやまでら)
紫式部ゆかりの寺で、平安時代には貴族の間で石山詣が大流行、紅葉の名所でもある
珪灰石(天然記念物)と多宝塔(国宝)

所在地
大津市石山寺1-1-1、電話077-537-0013
宗派
東寺真言宗
山号
石光山(せっこうざん)
本尊
如意輪観音
開基
良弁、聖武天皇(勅願)
札所等
西国三十三箇所13番
江州三十三観音1番
近江三十三観音3番
文化財等
【国宝】
本堂、多宝塔、漢書高帝紀下・列伝第四残巻、史記巻第九十六・九十七残巻、玉篇巻第廿七、春秋経伝集解巻第廿六残巻、
春秋経伝集解巻第廿九残巻、釈摩訶衍論、淳祐内供筆聖教73巻1帖、延暦交替式、越中国官倉納穀交替記残巻、
周防国玖珂郡玖珂郷延喜八年戸籍残巻
【重要文化財】
東大門、鐘楼、御影堂、蓮如堂、三十八所権現社本殿、経蔵、宝篋印塔ほか多数
【天然記念物】
硅灰石
拝観
【拝観時間】 8:00~16:30
【拝観料】 拝観供養両料500円
【駐車場】 普通車600円、140台
写真撮影日
1996/11/24
2010/05/21
歴史等
『石山寺縁起』によれば、天平19年(747)、聖武天皇の発願により、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)
が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。
聖武天皇は、東大寺大仏造立のための黄金を得るために、良弁に祈願を命じた。良弁は
「近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい。」との夢のお告げに従って、石山の地を訪れ、
比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。
その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は無事に効果を現わしたわけだが、
如意輪観音像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
その後、天平宝字5年(761)から造石山寺所という役所のもとで、国家的事業として堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、
観賢などの醍醐寺関係の当時高名な僧が座主として入寺している。この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐内供で、この頃、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や
「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096)の再建である。また、東大門、多宝塔は鎌倉時代初期に源頼朝の寄進により建てられたものとされ、
この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、
文書などの貴重な文化財を多数伝存している。
『フリー百科事典・ウィキペディア(Wikipedia)他より』
現況・感想等
石山寺は兵火に遭わなかったため、貴重な文化財が多数残っている。
建築物も、多くが現存し、懸崖造り(舞台造り)の本堂や日本最古の多宝塔など見応えあるものが多い。また、
四季折々の花が見られる花の寺としても有名である。
しかし、何と言っても、石山寺の魅力は、錦の紅葉の見事さであろう。
建物と相俟った光景は、実に素晴らしく、その季節に訪れると、ついつい何枚も写真を撮ってしまう。尤も、残念ながら、私のカメラ(腕?)
では、何枚撮っても、輝く陽のもとに織り成す素晴らしい実際の色を、写し撮ることは出来ないが・・・。
ギャラリー
東大門(重要文化財)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190)に源頼朝の寄進によるものであるが、本堂の礼堂
(らいどう)が建立されたのと同時期の慶長年間(1596~1615)大幅な修理を受けている。 門の両脇には金剛力士像が安置されている。
金剛力士像

くぐり岩
東大門をくぐり、石畳の参道を奥に進むと、拝観受付がある。拝観料を払い入って行くと、
右手にくぐり岩というのがある。この辺りの奇岩・怪岩は全て大理石だそうだ。また、池は天平時代のものだそうだ。

観音堂
くぐり岩の脇の石段を登っていくと、右手に観音堂と毘沙門堂があり、その奥には御影堂がある。そして、
左手には本堂がある。正面奥には珪灰石があり、その上奥には多宝塔が見える。
㊧毘沙門堂(重要文化財)、㊨堂内に安置されている毘沙門天像

㊧御影堂(重要文化財)、㊨弘法大師像他
御影堂は簡素な感じのする建物で、外回りは後世に改修がされているが、
内陣の須弥壇は室町時代の様式を示している。石山寺と関係の深い良辨(右)、空海(中央)、
淳祐(左)の遺影が安置されている。

珪灰石(天然記念物)と多宝塔(国宝)
境内には国の天然記念物に指定されている硅灰石(けいかいせき)があちらこちらに露出している。尚、
本堂も硅灰石の巨大な岩盤の上に建てられており、この珪灰石(石山寺硅灰石)が寺名の由来ともなっている。TOP写真と、
この写真は同じ場所から撮ったものである。
多宝塔(国宝)
まずは、上写真の珪灰石の脇の石段を登って多宝塔へ・・・。建久5年(1194)
源頼朝の寄進で建てられたもので、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。
優美な姿をしており、かつて切手のデザインに使われたことがあるそうだ。

㊧鐘楼(重要文化財)、㊨月見亭(重要文化財)
㊧多宝塔から東側一段降った位置に建つ。入母屋造、檜皮葺で、袴腰を付けた重層の建物で、
均整のとれた美しい姿をしている。寺伝では多宝塔と同じく源頼朝の寄進と伝えるが、細部の手法から鎌倉時代後期の建築になると考えられる。
比較的規模の大きな袴腰付の鐘楼として、前後左右の均整がとれており、袴腰全体が白壁の漆喰塗という古式を示している。内部には、
重要文化財の鎌倉時代初期の梵鐘が釣られている。
㊨多宝塔の東側、展望台の脇に建っている。近江八景「石山の秋月」のシンボルとなっている月見亭は、瀬田川の清流を見下ろす高台に設けられ、
後白川天皇以下歴代天皇の玉座とされた。

三十八所権現社本殿(重要文化財)
三十八所権現社は三井寺の鎮守社で、本殿は桃山時代の建築で、本堂の東方の珪灰石の上に建っている。
一間社流造、檜皮葺で、拝殿として建てられた蓮如堂と同時期の建築である。
本堂(国宝)
正堂(しょうどう)、合の間、礼堂(らいどう)からなる複合建築である。「正堂」と「礼堂
「という2つの寄棟造建物の間を、「合の間」でつないだ形になり、平面は凸字形になる。正堂は承暦2年(1078)の火災焼失後、永長元年
(1096)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築である。内陣には本尊如意輪観音を安置する巨大な厨子がある。
合の間と礼堂は豊臣秀吉の側室・淀君の寄進で慶長7年(1602)に建立されたものである。合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、
執筆中の紫式部の像が安置されている。礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支え懸崖造(舞台造)となっている。
㊧本堂(右から合の間、礼堂)、㊨礼堂

㊧合の間内の紫式部の人形と、㊨境内の紫式部像
紫式部が『源氏物語』の着想を得たのは石山寺とされている。伝承では、寛弘元年(1004)、
紫式部が当寺に参篭した際、8月十五夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、本堂(合い間)には「源氏の間」が造られ、
執筆している「紫式部の人形」を花頭窓を通して見ることができる。また、境内には紫式部像もある。昔から石山寺は文学と縁が深く「源氏物語」
のほかに「枕草子」・「更科日記」・「宇津保物語」・「和泉式部日記」などに石山詣の話が登場する。

石山寺の紅葉
石山寺の魅力は、錦の紅葉の見事さであろう。建物と相俟った光景は、実に素晴らしく、その季節に訪れると、
ついつい何枚も写真を撮ってしまう。尤も、残念ながら、私のカメラ(腕?)では、何枚撮っても、
輝く陽のもとに織り成す素晴らしい実際の色を、写し撮ることは出来ないが・・・。

