當麻寺(たいまでら)
中将姫伝説と当麻曼荼羅の寺で有名、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺
曼荼羅堂(本堂) ~国宝~
中将姫の當麻曼荼羅を本尊としてお祀りする堂。本尊・當麻曼荼羅(室町時代・重文)が見事な厨子(天平時代・
国宝)に収められている。

所在地
奈良県葛城市當麻1263
宗派
高野山真言宗と浄土宗の並立
山号
二上山
本尊
当麻曼荼羅
開基
伝・麻呂古王
札所等
新西国三十三箇所11番
関西花の寺二十五霊場21番(西南院)
仏塔古寺十八尊第8番(西南院)
大和十三仏霊場6番(中之坊)
大和七福八宝めぐり(中之坊)
法然上人二十五霊跡第9番(奥院)
神仏霊場巡拝の道 第32番
文化財等
【国宝】
東塔、西塔、本堂(曼荼羅堂)、塑像弥勒仏坐像、当麻曼荼羅厨子、綴織当麻曼荼羅図、梵鐘、倶利伽羅竜蒔絵経箱
【国指定重要文化財】
金堂、講堂、薬師堂、絹本著色当麻曼荼羅縁起ほか多数
拝観
【拝観時間】 午前9時~午後5時
【拝観料金】 (境内) 拝観自由
(曼陀羅堂・金堂・講堂) 500円
(奥の院) 300円
(中之坊) 300円
写真撮影日
2002/05/01
2007/11/13
最終拝観日
2007/11/13
歴史等
當麻寺について『建久御巡礼記』には、聖徳太子の異母弟である麻呂古王が弥勒仏を本尊とする「禅林寺」として草創したものであり、
その孫の当麻真人国見(たいまのまひとくにみ)が天武天皇10年(681)に役行者ゆかりの地である現在地に移したものとある。
一方、『当麻寺縁起』によれば、當麻寺は推古天皇20年(612)、麻呂古王が救世観音を本尊とする万宝蔵院として創建したもので、
当初は今の當麻寺の南方の味曽路という場所にあり、692年に現在地に移築されたとする。なお、万宝蔵院の旧所在地については河内国山田郷
(大阪府交野市あたり)とする史料もある。
尚、当麻寺の公式ホームページは、上記二説をミックスした由緒になっている。
いずれにしても、當麻寺はこの地に勢力をもっていた豪族「当麻氏」の氏寺として建てられたものであろう。
そして、平安時代末期、いわゆる末法思想の普及に伴って、来世に阿弥陀如来の西方極楽浄土に生まれ変わろうとする信仰が広がり、
阿弥陀堂が盛んに建立された。
この頃から當麻寺は阿弥陀如来の浄土を描いた「当麻曼荼羅」を安置する寺として信仰を集めるようになる。中でも浄土宗西山派の祖・証空は、
貞応2年(1223)に『当麻曼荼羅註』を著し、当麻曼荼羅の写しを十数本制作し諸国に安置して、当麻曼荼羅の普及に貢献した。
『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)ほか参照』
現況・感想等
仁王門をくぐると、當麻寺の境内が広がる。正面奥に本堂(曼荼羅堂)、金堂など伽藍の諸堂、
そして左手には中之坊越しに東搭が見える景観はなかなかのものだ。
また、南西奥には西搭もあるが、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺だそうだ。
また、金堂や講堂には、国宝或いは重要文化財の多くの仏像が安置され、見どころが多い。
しかし、当時、お寺に興味のなかった私は、當麻の名物である、香り高いよもぎを使った草餅にこしあんをのせ、
ボタンの花びらをかたどった中将餅が美味かったことの方が印象深い(苦笑)。
ギャラリー
當麻寺境内
仁王門をくぐると、當麻寺の境内が広がる。正面奥に本堂(曼荼羅堂)、その左手前に金堂が見える。
そして左手には中之坊越しに東搭が見える(一段下の左側の写真)景観は、なかなかのものだ。
㊧中の坊越しに東搭を、㊨東搭(国宝)
初層は3間(柱間が3つ)であるが、2層、3層は2間という珍しい建て方である。また、
屋根上の水煙の装飾も、魚の骨のような形をした、変わったデザインである。奈良時代末期の建築と推定されるとのこと。

㊧護念院越しに西搭を、㊨西搭(国宝)
こちらは全部3間あり、屋根上の水煙の装飾デザインもオーソドックスなものである。
奈良時代最末期から平安時代初頭の建築と推定されるとのことである。

㊧梵鐘(国宝)、㊨石燈籠(重要文化財)
㊧無銘ながら、作風等から日本最古級と推定される梵鐘で當麻寺創建当時の遺物と推定される。
鐘楼の上層に懸けられている上、ネットが張られており少し見づらい。
㊨日本最古の石燈籠で、白鳳時代に松香石(凝灰岩)で造られたものである。凝灰岩で造られているため風化が著しい。

【中将餅】
当時、お寺にあまり興味のなかった私には、この當麻名物の中将餅の方が印象深い(苦笑)。
香り高いよもぎを使った草餅にこしあんをのせ、ボタンの花びらをかたどった中将餅は美味かった(^^)。お薦めの一品だ。
詳しくは中将堂本舗ホームページをどうぞ(^^)
