熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)

参道
 

所在地

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

社格等

官幣中社、別表神社

主祭神

熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)

札所等

神仏霊場巡拝の道第3番(和歌山第3番)

文化財

【重要文化財】
第一殿(滝宮)、第二殿(証誠殿)、第三殿(中御前)、第四殿(西御前)、第五殿(若宮)、第六殿(八社殿)、御県彦社、鈴門及び瑞垣、 金銀装宝剣拵後藤琢乗作(附銅鍍金銀箱)、熊野那智大社文書、古銅印
【史跡】
熊野参詣道中辺路、熊野三山
【重要無形民俗文化財】
那智の田楽
【名勝】
 那智の大滝遠景那智大滝
【天然記念物】
那智原始林

写真撮影日

1989/04/02

歴史等

熊野那智大社社伝に、神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸したとき、那智の山に光が輝くのをみて、 この大瀧をさぐり当て、神として祀り、その守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へ入ったと記録されている。
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、 この熊野に住む原住民の人々も神武天皇東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられており、古代からこの大瀧を「神」 としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命(大国主命)」を祀り、また、親神である「夫須美神(伊弉冉尊)」を祀っていたのである。
その社殿を、瀧からほど近くて、見晴しのよい現在地に移したのは仁徳天皇5年(317)と伝えられている。
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、神仏習合の信仰が行なわれるようになった。
その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるが、中でも、皇室の尊崇が厚く、延喜7年(907) 10月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は34回、後鳥羽上皇は29回も参詣し、また花山法皇は千日(3年間) の瀧籠りしたと記録されている。
(以上、那智大社公式ホームページから抜粋)
『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば孝昭天皇の頃(紀元前475~紀元前393) にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃(313~399) に鎮座したとも伝えられるが、創成の詳細は不明である。
熊野三山の中でも熊野坐神社 (本宮)熊野速玉大社 (新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後であろう。 一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。
平安時代後期には三山とも天照大神を含む御子神の五所王子と眷属神の四所明神を加え、現在のような十二所権現を祀る形が整った。そして、 宇多上皇に始まる23方140度の上皇など皇室による熊野御幸は「蟻の熊野詣」と称された。
近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、明治6年(1873)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、 さらに熊野夫須美神社と改称した。大正10年(1921)に官幣中社に昇格して熊野那智神社と改称、最終的に昭和38年(1963) に熊野那智大社と改称して今日に至る。

現況・感想等

最近まで、神社仏閣に、ほとんど興味のなかった私は、那智大社へは何度か行っているものの、那智の滝の記憶があるだけで、 神社については、参道の写真が数枚あるだけだ(汗)。
今になって、熊野古道を歩いてみたいと思うようになったので、そのうちに・・・(^^)。
尚、勿論、那智の滝は、落差133mの日本一の直瀑だけあって見応え充分だ(^^)
(2010/05/23)

ギャラリー

那智の滝
 

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