2008年3月13日(木)

イスタンブール→エジャアバト→(フェリー)→チャナッカレ→トロイ遺跡→アイワルク泊

早朝、礼拝(サラート)への呼び掛けの「アザーン」で目が覚め、イスラムの国へやって来たのを改めて思い起こしました。この音(ね)は、このあとでも、よく聞くことになるのですが、何故か妙に気に入りました(笑)。
イスラムの国ですが、バイキング形式の朝食には、豚のハムなどもありました。また、トマトをはじめ野菜も新鮮で、惣菜の種類も多く、パンも美味いです。さすが、世界3大料理の国ですね。

テオドシウスの城壁

出発まで少し時間があったので、散策に出掛けると、ホテルのすぐ近くに城壁を確認。今回の旅行にあたっては、ほとんど下調べをしないで来たのですが、ラッキーなことに宿泊ホテルが、「テオドシウスの城壁」のすぐ傍のミレット通りのトプカプだったのです(*^_^*)。
このトプカプの辺り(トプカプ宮殿ではない)は、エディルネカブやイェデレクと共に城壁がよく残っている所です。
(テオドシウスの城壁)
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トプカプのこの城壁は413年に築かれた「テオドシウスの城壁」でイスタンプール旧市街をすっぽり覆うように造られた城壁です。ローマ・ビザンツ時代には鉄壁の防御を誇り、1453年トルコのメフメット2世がこの街を陥落させた時も、この城壁を如何に突破するかが鍵になっていました。そこで、*ウルバンの大砲により「聖ロマノス門」付近中心に砲撃し、攻城戦もここを中心に行われたが結局、この城壁は完全には崩しきれませんでした。
ところが、その最中、聖ロマネス門の北の方にある「ケルコポルタ門」の通用口が施錠されないまま守備隊が居なくなってしまい、ここからオスマン軍が侵入、コンスタンティノープルは陥落した。
現在では、ここトプカプにあった「ロマノスの門」周辺の城壁はミレット通りにより分断されているが、通りの両側には大理石の塔が聳え、そこからどこまでも続く城壁の壮大な姿は実に見応えがあり、いつまで見ていても飽きません。
(ミレット通りで分断されたテオドシウスの城壁・聖ロマンセス門近辺)
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また、塔の横に階段がありましたが、門扉によって塞がれ残念ながら城壁の上には登れませんでした。
(ホテルの前から塔を)
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「テオドシウスの城壁」は、内壁、外壁、防御用の低壁と堀から成っています。内壁は、高さ13m、厚さ3~4mで、15~20mの高さの見張りの塔が96箇所に設置されていたそうです。また、外壁は、高さ8m、厚さ約2mで、15~20mの塔が96箇所に設置されていたそうです。
城壁の多くが、荒れたままになっていますが、それがかえって、塩野七生さんの小説「コンスタンチノープルの陥落」の様子が目に見えるような臨場感を醸し出します。
(荒れ果てた城壁)
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*ウルバンの大砲
ウルバンの大砲は、オスマン帝国が1453年のコンスタンティノーブル攻略戦で使用した大砲。名前は開発者であるハンガリー人(マジャール人)・ウルバンにちなむ。ウルバンは当初東ローマ帝国側に大砲を売り込んだが、拒絶された(しかも牢獄に送られた)ためにオスマン帝国に与したと言われている。
ウルバンの大砲は、コンスタンティノープルの防御の要であるテオドシウスの城壁を撃ち破るために戦いに投入された。
発射される砲丸の重さは500kg以上になり、射程・威力共に当時の火砲を上回るものだった。しかし、その大きさゆえに故障の多発・次弾装填に時間が掛かるなどの欠点があり、随時修復される強固な城壁を打ち破るには決定力が足らなかったとされる。また、命中率も長大な城壁のどこかに当たるのがやっとというほどであった。このため、その破壊力をもってしても城壁を完全には破壊できなかった。
しかし多くの欠点がありながらも、その破壊力によってコンスタンティノープル攻略に多大な貢献をしたことは事実であり、後世にその名を残すことになった。
ちなみに、この後もオスマン帝国は同等の大型大砲を多数鋳造し、ヨーロッパ各国に恐怖を覚えさせ、後に築城の「城」から「要塞」への変化・銃火器を使う部隊編成などの戦術転換をヨーロッパにもたらした。
(ウィキペディア参照)

城壁の現状等については、今回の旅の後半にイスタンブールへ戻って来るので、詳細はその時に紹介するとして、本日の観光のメインは「トロイ遺跡」です。
我々のツアーバス(DORAK)は朝7時30分にホテルを出発です。DORAKというのは現地の旅行会社で、日本の旅行会社のほとんどがこのDORAK社のツアーで、現地トルコ人添乗員に丸投げ状態です。我々の添乗員は「エルキン」という名前の方で日本語が達者なだけでなく、日本の歴史まで詳しい人でした。
(DORAK社のツアーバス)
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ヨーロッパ大陸側を通って、延々4時間弱で小さな港町エジャバレ(日本語の達者なトルコ人添乗員エルキンさんの発音ではそう聞こえたが、日本語的?にはエジャアバトらしい)へ向かいますが、イスタンブールを一歩出ると、だだっ広い平原の景色に変わります。その平原には桜の木と間違えるようなピンクの花が咲く木々を多く見掛けましたが、アーモンドの木だそうです。また、時々、尖塔が立つモスクが見えたりもします。
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エジェアバトは、第一次大戦後の独立戦争時の激戦地だったようで、戦士と負傷兵の銅像を設置している最中でした。
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エジャアバトからは、フェリーで、チャナッカレ海峡を渡り、アジア大陸側のトロイ遺跡のあるチャナッカレへと30分ほどです。途中、右手の方に城壁が見えましたが「エジャーバト城」だそうです。確かにこの地はエーゲ海からイスタンプールのあるマルマラ海への入口であり、城塞があって当然の地です。 いつか一度登城したいものですが、ちょっと無理でしょうね!?
(エジャアバト港)
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(フェリーからエジャアバト城を)
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チャナッカレにはブラッドピッド主演の「トロイ」で使われた木馬が寄贈されたそうで、フェリーからも本当に小さく見えました。
(チャナッカレ港と木馬)
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トロイ遺跡に行く前に、燦々と太陽が輝くエーゲ海の見える「IRIS HOTEL」で昼食です。
(エーゲ海を背景に)
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トロイの遺跡

そして、トロイへ・・・。トロイと言えば、トロイ戦争ですね。そして、トロイ戦争と言えば「トロイの木馬」です。1975年に造られた伝説上の木馬の複製が、遺跡の入り口にシンボルとして設置されており、中に入ることも出来るというので、家内も一度はということで入って行きました。中は2層になっていて、2度階段を上らないといけないのですが、どんどん人が入ってくるので、なかなか上には行けないし、なかなか下りることも出来なかったとのことです。家内が、上の層の窓から手を振って喜んでます。
(トロイの木馬)
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トロイ遺跡は第1市から第9市の都市が複雑に重なり合い、9層になっているとのことで、発掘するのが非常に難しいようです。従って、見学していても各世代の遺跡が見られる反面、全体像は全く分かりませんでした。ましてや、勉強もしてこないで1時間強の見学では、「辺りに大理石を中心とする立派な石が転がっているだけだ」といった感じでさえあります(苦笑)。
(9層になったトロイ遺跡の説明図) ~現地説明板より~
トロイは栄えては滅びるという歴史を繰り返し、全部で9層にわたる都市遺跡を形成しています。即ち、新しい王朝が進出して来たとき、旧来の遺跡を壊して新しく造るのではなく、遺跡の上に堆積された土の上に、手っ取り早く新しい都市を造ったのです。
トロイ遺跡説明図
それもそのはず。現在見ることのできる遺構群は、最初に発掘したシュリーマンが、本来実業家であり、考古学の専門家ではなかったこともあり、重なる時代の地層の重要性を殆ど認識しない状態での発掘作業を行ったことから、その多くは判別が難しい状態で保存されているとのことです。
とは言え、この遺跡が1600~5000年前の大昔のものであるから驚きです。そのいずれもが、当時これだけの技術があったのかと驚くようなものばかりです。
(東の塔と城壁)
門を入ると、東の塔、東の城壁の外側を通って、トロイ遺跡の第6市に沿って進みます。写真右奥の2つの城壁に挟まれた狭い通路付近が東の城壁で、トロイ最盛期(第6市)の遺構です。
東の塔と城壁

(第1市の住居跡)
第1市と言えば、な・な~んと!5000年も昔の住居跡ではないかw(*゚o゚*)w
第一市の住居跡

(第6市の住居跡)
木馬で有名なトロイ戦争で破壊されたのは第6市の街だそうです。現在も発掘が進行中ですが、9つの層がごちゃごちゃに見えて全く分かりません!!時代別に札がつけられていますが、それでもさっぱり分かりませ~ん(;´▽`A``
第六市

(第2市の大理石の坂道)
南西門から外への出入りに使われた大理石の敷石で舗装された坂道で両脇もきちんと縁取られています。トロイの木馬を運び入れた通路だとされています。
第二市

(第9市の聖域)
儀式に使われた場所です。右の低い壇は生贄を捧げる台です。井戸は生贄の血を貯めるためのものと、流すためのものの2つがあるそうです。
第九市

(オデオン)
トロイの遺跡の中で一番保存状態のよいローマ支配時代に造られた小劇場で、木製の屋根が付いていて、小さいながら音響がよかったといわれているそうです。大劇場もあったそうですが、崩壊してしまい、痕跡をとでめていないとのことです。
オデオン

(大理石がゴロゴロ)
トロイの遺跡内には大理石がいっぱい転がって(放置されて)います。衛星画像で診断すると地下に遺跡が複雑に埋もれており、発掘計画があるとのことです。しかし、トルコ人添乗員エルキンさんの話によると「私は、18年前からガイドをしており、その頃から発掘計画があったが、今も当時と変わらない。」とのことです(笑)。
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日本では16世紀末になってやっと安土城の石垣が出来たところですよ。石の種類が違い、細工がしやすいとは言え、あまりの違いに今更ながらビックリです。石の文化では100歩どころか1万歩は遅れていましたね。何だか、あまり遺構が残っていない日本の城址めぐりをしているの自分が虚しいとさえ感じました。(いやいや、これはこれ。日本には日本の文化が・・・。)
トロイの遺跡の現在見学して廻るコースは大した広さではありませんが、まだまだ発掘調査中とのことです。周りを発掘したらまだまだ出てくるんでしょうね!!一体何年かかるのだろう!!

(イチジク)
遺跡内に生えていたイチジュクの木ですが、枝が無数に張り巡らしたこの木は、強烈なインパクトがあり、まるで化石のようです。
いちじく

(トロイ遺跡からかつては海であった田園を見下ろす)
今では、遺跡の向こうは一面の田園風景ですが、かつては海でした。ブラッドピッド主演の映画「トロイ」でも、城は海に面したところにありました。トロイの城壁は堅固で、攻め込むことができないと言われるほどだったそうです。
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本当に、トルコ(尤も、トルコ人だけの歴史ではありませんが)の歴史の深さに感動しながらの遺跡めぐりでした。

さて、今夜はアイワルクのグランドテミゼホテルに宿泊です。

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