2008年3月16日(日)

アンタルヤ→ペルゲ遺跡→アスベンドス遺跡→コンヤ(メブラーナ博物館・インジェミナーレ神学校)→コンヤ(リクソスホテル)

アンタルヤは、地中海沿岸でも屈指のリゾート地であると同時に、市内にもギリシャ・ローマ時代の遺跡などがあり、丘から見下ろすアンタルヤ港の眺めも素晴らしいのだそうですが、時間がなく、昨夜泊まったアイシーホテル周辺を早朝散策しただけです。
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アンタルヤは、近郊にペルゲやアスペンドス、テルメッソスなど数々のギリシャ・ローマ時代の遺跡があり、その観光基地ともなる町で、今日はペルゲ遺跡アスペンドス遺跡を訪れてからコンヤへ向かいメブラーナ博物館とインジェミナーレ神学校見学です。

まずはペルゲ遺跡です。

ペルゲ遺跡

アンタルヤは、地中海沿岸でも屈指のリゾート地であると同時に、市内にもギリシャ・ローマ時代の遺跡などがあり、丘から見下ろすアンタルヤ港の眺めも素晴らしいのだそうですが、時間がなく、昨夜泊まったアイシーホテル周辺を早朝散策しただけです。
アンタルヤは、近郊にペルゲやアスペンドス、テルメッソスなど数々のギリシャ・ローマ時代の遺跡があり、その観光基地ともなる町で、今日はペルゲ遺跡とアスペンドス遺跡を訪れてからコンヤへ向かいメブラーナ博物館とインジェミナーレ神学校見学です。
ペルゲの町の起源は、紀元前1200年頃のトロイ戦争後に移住してきたギリシャ人により建設されたとも言わていますが、現在のところはっきりとは分からないといいいます。
紀元前546年にペルシア人によって支配されましたが、約200年後の紀元前333年にはアレキサンダー大王によってマケドニアの領土として支配されました。
アレキサンダー大王の死後、シリア、小アジアを支配したコマゲーネ王朝は、小アジア支配の重要な都市としてペルゲを位置づけ、強固な城壁で固めました。
紀元前188年にはローマ帝国の支配下となり、最盛期を迎えました。同時に、小アジアにおける原始キリスト教の重要拠点でもあり、現在の遺跡のほとんどはこの時代に建てられたものです。また、パウロもキリスト教布教のためにこの町に滞在したと聖書に記されています。
ローマ帝国が滅亡した後も、ぺルガは定住地であり続けましたが、セルチュク朝時代に廃墟となりました。
ペルゲ遺跡はアクロポリスの丘の南麓に街区の遺跡が広がっています。元々は、山(丘)の上にありましたが、時代が落ち着いてくると共に山麓へと降りてきたようです。
丘の上には、今も城壁が残り、アルテミウス神殿と伝えられる建造物跡等があるようです。

競馬場(競技場)跡
ペルゲ遺跡見学は、まず競馬場(競技場)跡からスタートです。234m×34mと、非常に細長い楕円形の競馬場(競技場)で、収容人員は12,000人です。競馬とは言っても一騎(車輪付き)だけが走るそうです。
かなり崩れてはいますが迫力満点で、子供の頃に見た映画「ベンハー」を思い出しました(*^_^*)。
ペルゲ競馬場跡

観客席下のアーチは良好に残っていてかっこいいです。
ペルゲ観客席裏側アーチ

円形劇場跡
南西方向には円形劇場跡も見えますが、かなり崩れやすく危険なため残念ながら入場は出来ないとのことでした。
ペルゲ劇場跡

シティーゲート
ローマ時代のもので、この門を潜り街区へと入って行きます。
シティーゲイト

ヘレニズムの門
シティー門を潜ると、円筒のヘレニズムの門が見えて来ます。その門の右側や後方を眺めると無数の円柱が見え、当時の繁栄振りが窺がえます。
ヘレニズムの門1

ヘレニズムの門2

左側には立派な浴場跡があり、往時の様子が浮かびます。
(浴場跡の壁)
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ローマ式浴場
浴場跡に入って行くと、このような浴室が幾つか繋がり、部屋ごとに高温から低温に分けて設定されていたとのことです。
ローマ式浴場跡

浴場床下
当然、床下から熱する方式であり、複雑な構造になっています。
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無造作に転がっている大理石
ヘレニズムの門から入って行くと、周りには往時の建物の壁などになっていたと思われる大理石がゴロゴロ転がっています。変に、復元せずに、そのまま放置されているこの光景、私は妙に好きです(笑)。
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アゴラの神殿跡
一方、ヘレニズム門を入って右手には、アゴラの神殿跡が・・・。こちらには、大理石の円柱の崩れたのがいっぱいです。
アゴラの神殿跡

列柱道路
ヘレニズム門から入場すると、アクロポリスに向かってほぼ一直線に道路が通り、その両側には石柱が立ち並んでいます。大理石で敷きつめられた道路に轍が残っているのが往時を偲ばせてくれます。
列柱道路

水路
道路の中央には山麓の「愛の泉」から流れていた水路が走っています。
水路

アクロポリスの丘
アクロポリスの丘の上を見ると、石垣がよく見えます。登りたかったのですが、何せ時間が・・・(/。ヽ)。
アクロポリスの丘

 

ペルゲ遺跡見学後向かったのはアスペンドス遺跡です。

 

アスペンドス遺跡

アスペンドスにギリシャ人が移り住んだのは紀元前1000年頃のこととされています。 土壌は肥沃で農耕に適し、さらに交易港ももつ豊な植民地として栄えました。
その後、アレクサンダー大王により征服され破壊されましたが、ローマ時代の2~3世紀には再び繁栄期を迎えました。
防衛上の必要から、アクロポリスの丘があり、急斜面の要所要所は石壁で補強されています。また、そのすそ野にはヘレニズム時代に建てられた街区がありました。
アスペンドスもかなり遺構が残っているようですが、残念ながら、今回のツアーでは、「完璧な状態で保存されているという古代劇場」だけの見学となりました。

古代劇場を外から撮影
完璧に近い状態で保存されこの古代劇場は、紀元前2世紀に建造され、15000~2000人が収容可能で、今でもコンサート会場等として使われ、特に毎年6月にはアスペンドス国際オペラフェスティバルが行われているそうです。地中海岸に劇場は多く残っていますが、ここは楽屋や舞台などもきれいに残り、世界で最も保存状態が良いと称えられているそうです。
アスペンドス古代劇場

劇場内下から撮影
入場すると立派な体格の色とりどりの服装の団体があったが、多分ドイツ人の団体でしょう。トルコ観光の外国人のうち30%(年間700万人)がドイツ人だとのことです。手前はトルコ人添乗員エルキンさん。
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劇場は確かに実に良好に保存されていますが、今でも、コンサート会場等として利用されているそうだから驚きです。
観客席の石段がぐるっと周っている姿は実にかっこいい。
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階段はかなり急傾斜で、最上段まで登るのが結構しんどいくらいです。また、そこから見下ろすと迫力があり、降りるのが怖いくらいでした。
(最上段から舞台正面を)
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(最上段から観客席急傾斜な観客席と舞台を)
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最上段柱廊
最上段には柱廊もしっかりと残っています。
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柱廊窓からアクロポリスを
回廊の窓から、アクロポリスの石垣などの遺構が見えたので撮りました。今回、劇場以外の遺構はこれだけしか見れませんでした。
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アスペンドスの古代劇場見学後は、今夜の宿泊地でもある「コンヤ」へ向かいます。
「コンヤ」はトルコのあるアナトリア半島でも、かなり内陸部に位置し、アンタルヤからは300km以上もあります。そのため、3月のこの時期にはまだまだ積雪が多く残る山間部の道を通って行くので、車窓から眺める風景は、これまでのコースとはかなり違ってきます。
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アスペンドス遺跡を出てから2時間半ほどの峠にあるレストランで昼食となりました。一応、旅行会社の案内には「トルコ風ピザ」となっていましたが、ピザとは程遠い質素なもので、子供の頃に駄菓子屋で食べた薄っぺらなお好み焼きのようなもので、皆さんからはかなり評判が悪かったです。
(峠のレストランと風景)
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(トルコ風ピザ?)
本来、トルコ料理は世界三大料理でもありラフマジュン(ミンチの薄焼きピザ)やカパル・ピデ(トルコの包み焼きピザ)、ミュジヴェル(ズッキーニのお焼き)など、それこそ「トルコ風ピザ」といえるものがあるはずなんですがねえ(苦笑)。
尤も、私は今回の質素なピザ?、懐かしい感じがして好きでした(笑)
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そして、再びバスはコンヤを目指して行きます。
途中、トルコ人添乗員のマルキンさんから、車窓からレバノン杉の紹介があり、所々に、そのレバノン杉の美しい姿が確認できました。
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レバノン杉は良質の木材で、古代においては中近東一帯に広く自生していましたたが、古代エジプトやメソポタミアのころから建材や船材などへの伐採利用が大規模に進みました。中でも、レバノンに住んでいたフェニキア人はこの木を伐ってガレー船建造や木材・樹脂輸出を行い、全地中海へと進出しました。その結果、レバノン杉の森はほとのどが消滅し、現在においてはレバノン等のごく一部の地域に小規模に残存するのみとなり保護扱いされているのだそうです。
まさか、そんな貴重なレバノン杉をトルコで見ることができるとは思っていなかったので感激です。


コンヤに入ると、まずメヴラーナ博物館へ案内されましたが、今回のトルコ旅行では珍しく、ヒジャブを着用した人が多くて、如何にもイスラムっぽい雰囲気です。
(メヴラーナ博物館)
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実は、準備(興味も)不足だったためメヴラーナ博物館がどういうものか全く知らずに、ただただ付いて廻っただけでしたので、帰国後、調べてみました。
すると、「独特の旋回舞踏で世界的に有名なイスラム神秘主義の一派・メヴレヴィー教団の総本山だったところで、創始者メヴラーナ・ジェラルディン・ルーミーの霊廟だそうです。かつてはアナトリア随一の宗教都市だったのだそうです。」道理で・・・。
その後、アタチュルクの宗教分離政策により教団は解散、旋回舞踏は禁じられ、1927年に霊廟は宗教色を薄める形で博物館としてオープンしました。旋回舞踏も1970年代の緩和政策により再会され、大手ホテルなどで旋回舞踏ショーが開催されるようになったということです。
そういえば、あのユニークな踊りの絵を何度か見たような気がし、何処でだか忘れましたが、トルコ国旗の図柄とこの踊りの絵が描かれた小さな器を、酒のお猪口(盃)に丁度いいと思い買ってきました。今でも気に入っていてちょくちょく、この器で酒を飲んでます(*^_^*)。
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尚、インジェミナーレ神学校はバス窓から見ただけでした。
(インジェミナーレ神学校)
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そして、今夜宿泊のリクソスホテルへ向かいましたが、旧ヒルトンだったそうで、建物もプールやトルコ式風呂「ハマム」等の設備も立派なものでした。
(リクソスホテル)
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さあ、いよいよ明日はカッパドキアです。

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