2008年3月17日(月)

コンヤ→スルタンハン(キャラバンサライ)→トルコ絨毯店・洞窟レストラン→カッパドキア(ギョレメの谷・カイマルク地下都市)→デデマン(ネヴシェヒル)泊

今日は、数あるトルコの観光地の中でも、特に人気のあるカッパドキアです。

コンヤを出発して1時間半ほどでトイレ休憩を兼ねてスルタンハンのキャラバンサライへ到着しました。
(スルタンハンのキャラバンサライ)
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「スルタン」とはイスラム王朝の称号で、「ハン(ハーン)」とは北アジア・中央アジア・西アジア・南アジアにおいて遊牧民の君主が名乗る称号です。
そして、「キャラバンサライ」とはペルシア語で「隊商宿」の意味です。「隊商宿」などというと旅をする人々がそこで一晩を過ごすための野営地のような簡単な施設かと想像してしまいますが、実際は盗賊から旅人の安全を守るために頑丈な門や壁で囲われています。そこは隊商が休息をするだけでなく、交易をする場でもあるので、各地から様々な旅人が集まり、バザールは結構な賑わいだったようです。
キャラバンサライはロバやラクダが一日歩ける距離(30~40km)ごとに置かれていました。3日分の宿泊料も食料も無料で、病人は治療され長期滞在しなければならない時は回復するまで泊まることが出来たのだそうです。
トルコはシルクロードの西の果てであり、東洋の物産、特に絹と香辛料をはるばる運んでくるキャラバンの交易の拠点として栄えました。
スルタン・ハンのキャラバンサライは、1229年に当時のセルジューク・トルコのスルタンの命によって建設されたそうです。キャラバンサライ跡は、現在もトルコ各地に40カ所ほど残っているそうですが、中でもこのスルタン・ハンの建物は良好な状態で残っており、重厚で存在感もあり、壁面の装飾も緻密で綺麗です。

それ以上に、私が興味を持ったのはキャラバンサライ前の広場にトルコの地形を形どったプレートの上に金色に輝くアタチュルクのマスクが飾られ、その周囲にはトルコ国旗を中心に旗と胸像が並んでいたことです。
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ここまでにも、トルコ人添乗員のエルキンさんから何度もアタチュルクについての説明(称賛)があり、また、至る所でアタチュルクの肖像画などを見ることがあり、近代トルコの英雄として如何に尊敬され、慕われているのかを理解でき、私までアタチュルクファンになってしまいました(笑)。
しかし、アタチュルクのマスクの周囲にはためく旗が何なのか、また胸像が誰なのかを教えてもらうのを忘れてしまいました( ̄ー ̄;。

さて、休憩が終わり、バスがカッパドキアに向けて走り始めると富士山によく似たハッサン山(3,268m)が見えてきます。尤も、カッパドキアが近づくにしたがって独立峰でなく連山であることがわかってきますが・・・。
(ハッサン山)
ハッサン山


【カッパドキア】

スルタンハンのキャラバンサライを出発して1時間半ほどでカッパドキアに到着します。
カッパドキアとはアナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯で、キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観、奇岩の中に残された膨大なキリスト教壁画、地下何十mにも掘り下げられた地下都市等々様々な顔を持つトルコでも一番の人気観光地です。
カッパドキアは、数億年前にハッサン山とカッパドキアの東方にあるトルコ富士とも云われるエルジェス山(3,916m)の2つの山の巨大噴火により、石灰華、溶岩を含んだ軟らかい石、灰、泥で覆われたのが、長い間の風雨によってこの脆い岩が侵食され、赤、金、緑、グレーなど色とりどりの円錐形やキノコ型の岩、穴の空いた峡谷など壮観で現実離れした風景ができあがったのだそうです。
カッパドキアと一口に言っても大変な広さがあり、ギョレメ、ゼルヴェ、カイマルク等の地下都市、ウフララ渓谷等々非常に見所が多いのですが、ウチヒサールの見えるギョレメの谷を眼下に収める場所で「初カッパドキア」です(*^_^*)
多くの岩の表面には数多くの穴が開いていますが、これは「鳩の家」と言われる鳩の巣で、住民は昔から鳩の糞を集め、火山性でやせた土地に肥料として役立て、ブドウ畑を作っていたそうです。
そして、そこには小さな村ウチヒサールがあり、ヒッタイト時代から岩をくり抜き城塞として使われてきたウチヒサール城砦跡も見えます。
(ギョレメの谷とウチヒサール)
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この見学場所で、面白いものを見付けました。青いガラスの目玉が一杯吊るされた木です。この青いガラスに中心から青色・水色・白色の着色で描かれた「目玉」は、トルコ語で「ナザールボンジュウ」と呼ばれる魔除けの一種で、トルコの代表的なお土産でもあり、このあとトルコの至る所で、キーホルダー・ストラップ・マグネット・ブローチ・壁掛けなど多岐にわたるお土産として見掛けます。
高級なものからチープなものまでいろいろあると同時に、同じものでも値段も様々(いい加減?)で、ごっそり買って、価格交渉すると、どんどん下げていきます。これもトルコの旅の面白さかもしれませんが、あまりやり過ぎないで欲しいですね。
(ナザールボンジュウの木)
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昼食は洞窟レストランでした。
(洞窟レストラン)
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昼食後、最初に向かったのはギョレメ・パノラマの展望台です。
ギョレメ・パノラマは白いなだらかな岩肌の波が谷一面に広がる絶景で、まさに見渡す限りカッパドキア~です!カッパドキアには似たような風景が多くややこしくて、帰国してから写真を整理するのが大変でした。
写真左の方にはエアーズロックのような岩が見えますが、その周辺の谷は、ローズバレー(赤い谷)と呼ばれており、夕日を浴びると谷が真っ赤に染まるそうです。右奥に見える山はエルジェス山(3,916m)です。
(ギョレメ・パノラマ)
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(ギョレメパノラマとエルジェス山)
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(ローズバレー)
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この展望台でトルコ名物の「伸びるアイスクリーム」を見付けました。勿論、食べてみました。味そのものは練乳の味で悪くないのですが、写真のように量が多いとよく伸びますが、一人前だと大して伸びませんでした。
(トルコ名物の伸びるアイスクリーム) 
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次に向かったのは「ウチヒサールの砦跡」が目の前に見える高台ですが、最初に見た「ウチヒサールの砦跡」が見えた場所とは反対側になるようです。
(ウチヒサールの砦跡)
ウチヒサール1 

「ウチヒサール」とは、カッパドキア地方の小さな村で、村の中央にそびえるトルコ語で「尖った砦」という意味の巨大な一枚岩の城塞が中心になっていますが、この城塞は、古くヒッタイト時代から要塞として利用されてきました。
ウチヒサールとは「3つの要塞」の意味だそうで、他の2つの要塞はユルギュップとオルタヒサールにあるそうで、数百m離れたオルタヒサールの要塞とは地下で繋がっているそうです。
城跡にはたくさんの穴が開いていますが、これらは岩をくりぬいて造った部屋の跡で、戦争時は食料と水を持って、住民たちがここに数ヶ月立てこもり敵と戦ったそうです。
現在、ウチヒサール城塞の内部は上ることができ、ここから眺めるパノラマは絶景だそうですが、時間が無くて残念ながら入城することは出来ませんでした(/。ヽ)。
また、ここにはラクダがいましたが、記念撮影用のもので、乗るだけだと?リラで,乗って歩いてもらうと?リラと少し違う値段のようです。
ウチヒサール2
尚、要塞の周囲の小さな村には、現在も岩をくりぬいた住居があり、ペンションなど宿泊施設が数多くあるそうです。

【カッパドキアの地下都市】

そして、次に向かったのは、本日最後の見学先の「カイマルクの地下都市」です。
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カッパドキアには、古代の地下都市が点在しています。現在(2016年2月現在)、調査が進んでいるものだけでも50近くになり、推定で450ほどの地下都市が存在するといわれているそうです。
地下都市自体は紀元前4世紀には既に存在したことが伝えられるので、起源となれば、さらにかなり昔にさかのぼるでしょう。
その発祥や歴史は依然謎ですが、戦争が理由の一つであったのは確かと見られます。また、一時はアラブから逃れたキリスト教徒が住んだこともあると云われます。
このうち、カイマルクをはじめ5か所だけが公開されていますが、その地下都市でさえも完全には全容が解明されていないそうです。
地下都市の内部構造はさながら蟻の巣のように地下へと延び、迷路に次ぐ迷路が張り巡らされている上、通路は所によってはひどく狭くて、武具を着けていては通れません。
また、部屋どうしの連絡網は壁の横穴ででき、さらに地下都市どうしがトンネルで繋がっていたようです。
そして、内部の通気孔は各階に通じ、住居だけでなく、礼拝堂、教壇のある学校の教室、寝室、厨房、食糧庫、井戸などがあり、家畜の飼育やワインの醸造までなされていたらしく、大規模な共同生活が営まれていたことが分かります。
「カイマクルの地下都市」は、地下8層に及び、内部には教会、学校、ワイナリー、食料貯蔵庫などが作られ約2万人が暮らしていたと考えられています。
各階層は階段や傾斜した通路でつながれ、カイマクルの隣のデリンクユの地底都市との間には地下通路が確認されているそうです。
カイマルクの地下都市の見学を終え、外へ出るとカッパドキアらしいローカルなおみやげ屋さんが並んでおり、あの魔除けの目玉「ナザールボンジュウ」がほとんど全部の店に置かれていたので、キーホルダーを30個ほどまとめ買いしました。勿論、価格交渉の末、いくらだったかは忘れましたが、半値以下にしてもらいました。
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今夜の宿泊は、カッパドキアの中心都市でもあるネブシェヒルのデデマンです。

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