2008年3月18日(火)

ネヴシェヒル→カッパドキア(ウフララ渓谷・ギョレメ野外博物館・ゼルベの谷他)→アンカラ→(列車・アンカラエクスプレス車中泊)→ハイダルパシャ(イスタンブール市内アジア側)

今日もカッパドキア見学ですが、今日はカッパドキアでも特に見応えのあるギョレメ野外博物館やテレビで何度も見たカッパドキアの代表的な光景であるキノコのような岩が立ち並ぶゼルベの谷やウフララ渓谷の見学です。
ネブシェヒルのホテル・デデマンを出発し、しばらくすると右手の丘の上に城塞(ネヴシェヒル城)が見えて来ました。なかなか見応えのありそうな城塞で、トルコの国旗がはためいているのが印象的ですが、残念ながらパック旅行の身の上には見学は不可です(/。ヽ)。
ネヴシェヒル城遠景)
ネブシェヒル城

さらに50分ほど行くと、昨日も見た富士山によく似たハッサン山が見えて来たので下車して撮影タイムとなりました。ここから見ると、独立峰でなく2つの峰からなる山だというのがよく分かります。
(ハッサン山)
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その後、さらに行くと物凄い数の羊の行軍がw(*゚o゚*)w。最後尾には羊飼いと牧羊犬が・・・。こんな光景、日本では見たことがないので、車内の殆どの人がカメラのシャッターを・・・(*^_^*)。
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【ウフララ渓谷】
本日最初の観光地はカッパドキア地方にある断崖絶壁のウフララ渓谷です。
深い谷に川が流れているウフララ渓谷は全長12kmで、切り立つ崖は最深部で約100mあります。
その谷には岩が掘られた5000もの住居と105の教会などの礼拝場が残されています。これは、かつてアラブ人から逃れてきたキリスト教徒たちが作った岩窟教会や住居跡です。
ウフララ渓谷1

ウフララ渓谷2

一般道からウフララ渓谷へ階段を降りた辺りに教会が集中し、壁一面に極彩色のフレスコ画が描かれているものも多く残されてあります。その代表的な教会が、24人の教父と40人の殉教者が描かれた「ユランル教会」とキリスト昇天の場面が描かれた「アーチアルトゥ教会」です。
(ユランル教会とフラスコ画)
ユランル教会1

ユランル教会2

ユランル教会3

(アーチアルトゥ教会とフラスコ画)
アーチアルツ教会1

アーチアルツ教会2

アーチアルツ教会3

【ギョレメ野外博物館】
次に向かったのは「ギョレメ野外博物館」です。
テレビの旅行番組などでは、キノコ岩などがカッパドキアの主役であるかのように放映されて、私自身もそう思っていましたが、実際には、このギョレメ野外博物館こそカッパドキアの最大の見どころでしょう。
カッパドキアでは4世紀頃、多くのキリスト教の修道士が凝灰岩に洞窟を掘って住むようになり、岩窟修道院が造られました。その中心となったのがギョレメ一帯です。彼らは外敵から身を守りつつ、信仰を守り続け洞窟内の壁や天井に見事なフレスコ画を残しました。ギョレメ谷には30以上の岩窟教会が野外博物館として公開され、代表的な教会はリンゴの教会、バルバラ教会、ヘビの教会、暗闇の教会、サンダルの教会などがあります。
ただ、野外博物館はあまりにも広くて、教会の数も多い上、私は事前準備(勉強)不足のため、何処をどう廻っているのかよく分かりませんでした( ̄ー ̄;。

(ギョレメ野外博物館への入口)
ギョレメ野外博物館入口

(ギョレメ野外博物館・岩窟教会)
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(リンゴの教会?のフレスコ画)
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(ヘビの教会?のフレスコ画)
蛇の教会フレスコ画

蛇の教会オノフリウス

(バルバラ教会?のフレスコ画)
バルバラ教会フレスコ画

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昼食はウチヒサールの砦がよく見える高台のレストランで煮込み料理を。
世界三大料理のトルコ料理にしては、少し物足りないものでした(苦笑)。
折角だから、ウチヒサールを背景に家内と一緒に記念写真を一枚撮ってもらいました。
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【ゼルベの谷】
そして、次に向かったのはテレビや雑誌などで、カッパドキアの代表的な光景として紹介されているお馴染みのキノコ岩が林立する「ゼルべの谷(野外博物館)」です。

(ゼルベの谷入口)
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(ゼルベの谷)
キノコ岩の中には妖精が住んでいると言い伝えられていて、「妖精の煙突」と呼ばれています。キノコの奇岩の傘の部分は、あとから溶岩が流れて固まった硬い玄武岩の層で下の凝灰岩のほうが軟らかいため、先に侵食が進み、こんな形が残りました。
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このゼルベの谷にも聖堂や住居が無数にあり、多くの人がここで生活していたといわれ、つい最近(30~40年ほど前)まで村人が住んでいたそうですが、岩が崩壊の危険にさらされたため、今は近くに移住したのだそうです。
(ゼルベの谷洞窟内へ)
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ここの洞窟内の中も見学ができますが、内部の所々にはハシゴが架かり、一人通るのがやっとの細い通路です。
また、ギョレメ野外博物館の壁画のような派手さはありませんが、ここの洞窟内にも初期の壁画が残っています。
(ゼルベの谷の洞窟内の壁画)
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ただ、このゼルベの谷の見学時間は30分弱しかなく、ほんの一部しか見ることが出来なかったのが残念無念デス(;>_<;)。

*最後に、カッパドキアの岩窟教会や地下都市の謎について
トルコの土地にキリスト教のローマ帝国があったことは知っていても、その後のオスマン帝国や現代のトルコ共和国はイスラム教のイメージがあります。
イスラム教は、7世紀初頭に発祥して以降、急速にアナトリア地方にも広がり、カッパドキアにもその影響は及びましたが、なぜ1千はあると見られる岩窟教会が残っているにも関わらず、岩窟モスクは一つも生まれていないのでしょうか。
イスラム教徒は、最初からキリスト教徒との共存をうたい、奇岩群をキリスト教徒専用の聖なる世界と見做し、尊重したことになるからです。そのイコンを偶像として部分的に損壊はしても、いっぽうキリスト教徒にとって避難先となった地下都市は、奇岩以上に俗界から隔離された究極の神的空間として重宝されました。こうして、聖母子への祈りは、20世紀初頭まで連綿と続いて来ました。
ところが、それから100年も経ていない今日、一人の修道士はおろか、一人のキリスト教徒もカッパドキアにはいないのです。
オスマン帝国終焉(1922年)後、翌年のトルコ共和国宣言の前準備として、突然、カッパドキアからだけでなく、トルコじゅうから、隣国ギリシアに行かされてしまったからです。
ギリシアでもイスラム教徒が故郷を追われ、トルコを新しい祖国にさせられました。二国間の政治協定で、宗教別に人口を入れ替える「住民交換」が行われたのです。
そして、カッパドキアのキリスト教徒の村でも、教会は門を閉じたままで、彼らが残した家々は、博物館となった岩窟教会とともに、イスラム教徒が守っています。
「史跡・都市を巡る トルオの歴史・野仲恵子著(ベレ出版刊)より」



ゼルベの谷見学後は、一路、トルコ共和国の首都「アンカラ」へ向かい、夜行列車で「ハイダルパシャ(イスタンブール)」へと向かいます。
アンカラへ向かう途中、左手にトルコで2番目に大きい湖「トゥズ湖」が見えます。
トルコ語で「Tuz=トゥズ(塩)、Gölü=ギュル(湖)」と呼ばれるこの湖は、その名の通り塩を多く含んだ塩湖で深さ1~2mほどしかなく、夏の7月~9月頃には強烈な太陽の熱で湖の水分が蒸発することで、塩分がどんどん濃くなっていき、干上がった湖に30cmもの塩の層ができあがり、ボリビアの「ウユニ塩湖」に負けないほどの美しい白い絶景が見られるんだそうです。
尤も、3月でもあり、夕方で湖もぼんやりとしか見えず、ただの大きな湖ですが(苦笑)。
(トゥズ湖)
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午後4時にゼルベの谷を出発し、アンカラ駅に到着したのは既に午後9時過ぎデス。
折角、トルコの首都に来たにも関わらず、何処へも行けないのは残念ですが、パック旅行の身の上としては止むを得ませんね。アンカラへは、またいつか来ることにしましょう。
アンカラ駅で、しばらく待合室やプラットフォームをぶらぶらしてから乗車。明朝には、ハイダリパシャ駅(イスタンブールのアジア側の駅)です。
(アンカラ駅待合室にて)
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(アンカラ駅プラットフォームにて 乗車するアンカラ・エクスプレスを)
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(アンカラ発イスタンブールアジア側のハイダルパシャ行きのプレート)
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(アンカラ・エクスプレス内で)
一応、一等寝台です。
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