2008年3月19日(水)

寝台列車アンカラ・エクスプレス→ハイダルパシャ駅→イスタンブール観光(ブルーモスク・トプカプ宮殿・アヤソフィア・グランドバザール・民族舞踊&ベリーダンスショー)→エレシントプカプ(イスタンブール)泊

いつも寝坊の私も、さすがに外国、しかも寝台車では早朝に目が覚め、7時前に朝食。
(アンカラエクスプレス食堂車で朝食を)
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朝食後、まだイスタンブール到着まで2時間ほどありましたが、窓から見る景色が次々と変わっていき退屈はしません。
そして、イスタンブールが近づくと多くの船が浮かぶマルマラ海の景色が見えてきましたが、何故かワクワクしてきました。しかし、それ以上に興味を持ったのは、窓ガラスに描かれた「月と星」のトルコ国旗のマークです。トルコでは、ここまでも、この後も随分、いろんな処で国旗や国旗のマークを見掛けました。日本では、日の丸なんてなかなか見掛けることがありませんが、なかなかいいものですよね。それに、トルコ国旗のマークってかっこいいと思います。
(アンカラエクスプレスの窓からマルマラ海を)
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イスタンブールのアジア側の終着駅「ハイダルパシャ駅」には、朝9時前に到着。
(ハイダルパシャ駅)
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そして、すぐに観光バスに乗り換えて、ヨーロッパ側へ向かいます。
(イスタンブール地図) ~イスタンブール歴史の旅(小学館刊)より~ 
イスタンブール地図
まずは、ボスポラス海峡に架かる第一ボスポラス大橋を渡り、ヨーロッパ側の新市街へ向かいます。
(第一ボスポラス大橋)
ボスポラス大橋

さらに金角湾に架かるガラタ橋を渡り旧市街へ向かうと橋の上から多くの釣り人が釣竿をたらす光景が見えて来ました。主に鯵が釣れるようです。

(ガラタ橋と多くの釣り人)
金角湾の向こうに見えるモスクはイエニモスクイェニモスクでしょうか?
ガラタ橋

また、この橋の下にあるレストランや小舟などで「鯖サンド」が売られているとのことです。
実は、私の息子(次男)が卒業旅行で訪れた時に食べたそうですが、それが絶品だったとのことで、私も是非食べてみたいと思っていたのですが、残念ながら今回の旅行では叶いませんでした(/。ヽ)。
今では、「ガラタ橋の上の多くの釣り人の光景」と「鯖サンド」は、まさに「ガラタ橋名物」といっていいようです。


【スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)】


旧市街の到着後、最初の訪れたのは「スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)」です。
ブルーモスク1

ブルーモスク2
スルタンアフメト・モスクはオスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されました。
「オスマン建築の傑作」とか「世界一美しいモスク」とも云われ、イスタンブール観光の目玉でもあります。
6本のミナレット(尖塔)と高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームからなります。
イスラム教のモスクでは、メッカ以外では通常4本までしかミナレットを立てられないことになっていますが、当モスクは世界で唯一6本のミナレットを持っています。これは、言い伝えによると建設を指示したスルタンアフメット1世が「アルトゥン(黄金)の塔を」と言ったのを「アルトゥ(6)の塔」と勘違いしたことから、世界で唯一6本のミナレットを持ったモスクが出来上がったのだそうです。
内壁を飾る2万枚以上のイズニック・タイルは青を主体とした非常に美しいもので、さまざまな文様を組み合わせているにもかかわらず、建物全体としてみると連続した美しさがあります。そのため「ブルーモスク」の愛称で広く親しまれています。
ブルーモスク内部0

ブルーモスク内部2

ブルーモスク内部3

ブルーモスクステンドグラス

次の見学先「トプカプ宮殿」へと向かい、スルタン・アフメット広場を歩いて行くと左手に「アヤソフィア」が見えてきます(トプカプ宮殿見学後に訪れます)。
(トプカプ宮殿、その外苑と周辺) ~現地購入誌より~
トプカプ宮殿周辺の図

(アヤソフィア)
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一方、右手前方には「アフメット三世の泉亭」があり、その奥にはトプカプ宮殿の最初の門「皇帝の門」が見えます。
「アフメット三世の泉亭」は、公共の水飲み場で、市民が誰でも自由に利用出来ました。外観は当時ヨーロッパで流行していた「ロココ様式」に、細かい彫刻とアラベスク模様のイスラム様式の装飾が施された見事なものです。
(アフメット三世の泉亭)
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(アフメット三世の泉亭とその奥にトプカプ宮殿の皇帝の門)
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トプカプ宮殿

さて、「トプカプ宮殿」はオスマン帝国を代表する豪華な宮殿です。オスマン帝国の最初の宮殿は、現在イスタンブール大学のあるベヤズィット地区に建てられましたが、今は痕跡さえも残っていません。
1467年、トプカプ宮殿が完成すると、時のスルタン・メフメット2世は直ちに住まいを移しました。
そして、1839年にスルタン・アブドゥルメジット1世がボスポラス海峡沿いにドルマバフチェ宮殿を建てて移動するまで、公式宮殿としてスルタンの日常生活の場として機能し続けました。
トプカプ宮殿は、マルマラ海、ボスポラス海峡、金角湾に3方を囲まれた小高い丘の先端上にあり、かつて、ここに大砲が設置されていたことから、トプ(大砲)、カプ(門)、サライ(宮殿)と呼ばれるようになったようです。

トプカプ宮殿博物館平面案内図(現地購入誌より)
トプカプ宮殿平面図

トプカプ宮殿内へは、まず「皇帝の門(バーブフマユーン)」をくぐって第一内庭へ入城します。皇帝の門は、メフメット2世の代の1478年に建てられ、マフムット2世とアブドゥルアズィスの時代に再建されたものです。
(皇帝の門・バーブフマユーン)
皇帝の門

皇帝の門の両側には立派な城壁が延びてます。城壁フェチの私ですが、あまりにも他に見所が多すぎて霞んでしまいます。
(皇帝の門から続く城壁)
城壁の外側は、本来、第一内庭ですが、現在は城壁に沿っった場所は駐車場になっています。
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(城壁・城内側)
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皇帝の門を潜ると、左側にこの立派な教会「アヤイリニ教会」が見えます。世界のキリスト教徒の聖所の中で最古の建物の一つで、現在は博物館として美術展覧会や音楽会等に使われるそうです。
(アヤイリニ教会)
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さらに奥へと向かって行くと、正面に「表敬の門(バービュスセラーム)」が現れます。第1内庭から第2内庭への門で、1542年にメフメット2世の時代のものだそうです。宰相、政府高官、外国大使はこの門までは馬上による入場が許されていましたが、これ以降は降りなければならなかったそうです。
(表敬の門・バービュスセラーム)
表敬の門

表敬の門(バービュスセラーム)をくぐると第2内庭へ出ます。第2内庭の左前方には正義の塔・議場と武具展示室(本来の宝物殿)があります。 議場には毎火曜日に国政会議に召集されたそうで、議会開催中、周辺は「正義の塔」から常に厳重に監視されていました。写真右隣の武具展示室は宮殿でも最古の建物の一つに挙げられもので、数世紀にわたり帝国の膨大な宝物殿として機能してきましたが、1928年から武具コレクションが、この建物で行われるようになりました。
(正義の塔・議場と武具展示室)
議場と武具展示室の奥(後ろ)にはハレムがあります。
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(武具展示室の武具や鎧等)
1891年に日本から贈られた鎧兜や日本刀も飾られていますが、写真が上手く撮れませんでした(/。ヽ)。
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一方、第2内庭の右側には中国をはじめ日本やトルコ・ヨーロッパなどの陶磁器展示場(旧厨房)があります。
(中国や日本の陶磁器展示場・旧厨房)
厨房

中国の陶磁器は10~14世紀の青磁、14~19世紀の青白磁、16~18世紀の多彩色使い陶器など多くの陶磁器が展示されています。
日本の陶磁器コレクションは730点と宮殿の陶磁器コレクションの中では小規模です。全体的に色彩豊かで、輸出用にヨーロッパ好みを重んじて制作されたもののようです。
尚、厨房では、300年以上もの間、1000人前後の料理人が仕事につき、3万羽分の鶏肉、2万3千頭の羊、1万4千頭の子牛、膨大な量の果実が1年間で消費されたそうです。

第2内庭から第3内庭へは「幸福の門(バービュスサーデット)」を潜って行きます。幸福の門は、メフメット2世(15世紀)の時代に遡る造りで、18世紀のロココ調で装飾されています。
(幸福の門・バービュスサーデット)
幸福の門

第3内庭の右奥には宝物殿があります。トプカプ宮殿の所有する宝物は、世界第2位と云われているようで、その数は勿論ですが、溜息の出るような素晴らしいものばかりです。
中でも、「トプカプの短剣」には度胆を抜かれましたw(*゚o゚*)w。写真撮影は禁止のようでしたので、現地購入誌から「トプカプの短剣」の写真だけコピーさせて戴きます。
(トプカプの短剣) ~現地購入誌より~
短剣・トプカプ

昼食は、トプカプ宮殿博物館の南東端にあるレストラン(旧メジディエの館)でとりました。
昼食後、レストランの北側の第4内庭へ・・・。「第4内庭」や「バーダッドの東屋(バーダッド・キョシュキュ)」のテラスから見下ろすマルマラ海と金角湾を多くの船が行き交う光景はまさに絶景。さらには真下に城壁が残っているのが嬉しくて感激しました。ただ、ちょっと天候が怪しくなってきたので、海の色がもう一つなのが残念デシタ!!
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そして、いよいよ期待の「ハレム」見学のために、第3内庭を通ると、トルコの小学校の学習遠足といったところでしょうか、多くのトルコ人の子供(多分小学校低学年かな)に会いました。
そこで、驚いたのが、我々を見て、彼らが発した言葉が「ニッポン、ニッポン」と「テンノウ、テンノウ」です。トルコが大変な親日国であることは知ってましたが、こんな小さな子が「ニッポン」はともかく、「テンノウ」なんて言葉を知っていることに驚愕しました(笑)。
(トルコの児童)
トルコの児童たち

ハレムへは「ジュムレ・カプス(ハレムの主要門)」から入場です。
(ハレム)
ハレム

(ジュムレ・カプス「ハレムの主要門」)
ジェム・レカプス

ハレムの中で、見学できる場所は一部に限られていますが、各部屋のタイル装飾の壁や屋根、そしてステンドグラスの窓のいずれも目を見張るばかりの美しさです。

(ハレム内部)
ハレム内部1

(ハレムの部屋を飾るタイルの壁)
ハレム壁1

ハレム壁2

(ハレムの部屋のタイルの天井)
ハレム天井

(ハレムの部屋のステンドグラス)
ハレムステンドグラス

(寵姫達の内庭とハレムの女性達の部屋)
ハレム女たちの部屋

(正義の塔の上からの眺望)
また、今回のツアーでは、通常は上る事ができない「正義の塔」へ特別に上る事ができました。ここからは、真下にハレムの建物群が見え、その向こうには金角湾やウシュクダラの街並みが見えます。
ハレム眺望1

ハレム眺望2

一方、違う方向にはアヤソフィアなどがよく見え、最高の眺望でした。
(正義の塔の上からアヤソフィアを)
ハレム眺望4


【アヤソフィア】


次に向かったのは「アヤソフィア博物館」です。アヤソフィア博物館は皇帝の門のすぐ前にあります。
(アヤソフィアとブルーモスク) 
トプカプ宮殿はアヤソフィア、ブルーモスクと一直線に並んで建っています。当写真は「皇帝の門」の前から撮ったもので、右手前がアヤソフィア、左一番奥がブルーモスクです。

アヤソフィアとブルーモスク

アヤソフィアはビザンツ建築の最高傑作とも評され、長い歴史の中、その時代時代の流れに沿って存在し続けました。
(アヤソフィア)
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「アヤソフィア」とは、「神の知恵(聖なる叡智)」を意味し、元来キリスト教の大聖堂で、西暦325年、コンスタンティヌス1世によりアヤソフィアのもととなる教会の建築が始まり、360年、コンスタンティヌス2世の代になって完成しました。
その後、幾たびかの焼失を経て、537年、時の皇帝ユスティニアヌスの命を受け、6年近くの歳月をかけてビザンツ様式の大聖堂が完成し、この後、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の時代が終わりを告げるまで、ギリシア正教の大本山としてあがめられました。ギリシア語で「ハギア・ソフィア」といいます。
1453年にコンスタンティノープルが陥落し、オスマン帝国の時代になると、スルタン、メフメット2世により聖堂はモスクに変えられて改築が繰り返されました。さらに、1700年代には残されていたモザイクも漆喰で塗りつぶされ、20世紀に発見されるまで日の目を見ることはありませんでした。
20世紀初頭の第一次世界大戦で敗北後、オスマン帝国が解体し、1923年には西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国が建国されました。
そして、1931年、アメリカ人の調査隊により壁の中のモザイク画が発見され、アヤソフィアはビザンツ時代の遺跡として再び脚光を浴び始めました。
そこで、トルコ共和国初代大統領アタテュルクは、翌年、ここを宗教施設ではなく博物館として公開することを決定しました。そして、漆喰で塗り固められたモザイク画も修復作業によって次々と日の目を見ることになりました。
アヤソフィア博物館は、イスタンブール最大の観光名所の一つであり、キリスト教とイスラム教の両文化を包含する博物館で、モザイク文化都市イスタンブールを代表する建築物です。見応えのあるミナレット4本が空へ伸び、中央に巨大なドームを備える壮大な建物そのものにも圧倒されますが、それ以上に聖堂内は見応えがあります。
中でも、最大の見どころは修復作業によって日の目を見たモザイク画たちでしょう。聖堂内のモザイク画は、損傷の激しいものも多いですが、奥の後陣半ドームにある「聖母子のモザイク」や南入口の「キリストと皇帝」、出口へ続く拝廊上部の「聖母子とユスティニアヌス1世、コンスタンティヌス1世」のモザイク画など見応えのあるものも結構あります。
(大聖堂内部奥の後陣半ドーム・上の方に「聖母子のモザイク画」が)
後陣半ドーム 

(「聖母子のモザイク画」をアップ)
聖母子のモザイク画

(南入口の「キリストと皇帝」のモザイク画)
南入口のキリストと皇帝のモザイク画

(出口へ続く拝廊上部の「聖母子とユスティニアヌス1世、コンスタンティヌス1世」のモザイク画)
聖母子とユスティニアヌス1世、コンスタンティヌス1世

また、アヤソフィア内部にはアラビア語の文字でコーランの文句を記した円盤が飾ってありますが、私にはこの円盤が妙に印象的でした。勿論、これはモスクとして使われていた時代の名残りですが。
(大聖堂内部・アラビア語の文字でコーランの文句を記した円盤が妙に印象的)
聖堂内部
尚、窓を開けると壁が弱くなるからか、あまり窓は開いていないので、暗い感じがします。そのせいで(否、私の腕?)、いずれの写真もまともに撮れていないのが残念です(/。ヽ)。


グランドバザール】

次に向かったのはグランドバザールです。グランドバザールは、トルコ語で「屋根付き市場」という意味のカパルチャルシュ(Kapalıçarşı)と呼ばれ、広大な敷地に小さな店が無数にあり、その数は4,400軒とも云われているそうです。
熱気あふれる迷路のような場内は物凄い人で賑わい、品物も、土産物の雑貨類、宝石類、陶器、香辛料、絨毯類等々、いろんな店があります。
客引きの日本語が飛び交っており、店の人とやり取りしながら歩くのが結構楽しいです。是非、ゆっくりと見て廻りたかったのですが、与えられた自由時間が30分ほどしかなく、迷子になるのが心配で、狭い範囲だけしか廻れませんでした。せめて1時間ほどの時間が欲しいところですネ。
(グランドバザール入口と場内)
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【民族舞踊&ベリーダンスショー】

グランドバザールの見学が終わったあと、一旦、宿泊ホテルへチェックインし、その後、「民族舞踊&ベリーダンスショー」へ出掛けました。
トルコと言えば、ベリーダンスも有名です。ベリーダンスの歴史は古く、中近東各地で娯楽として親しまれましたが、イスラムの浸透と共に、女性の露出度の多いダンスは敬遠されていき、比較的戒律の厳しくないトルコが中心的存在になっているそうです。あまりにも動きが激しいのと、背後のライトのため、いい写真が撮れず、残念でした。
(トルコ各地の民俗舞踊)
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(ベリーダンス)
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さて、いよいよ明日は最終日です。あまりにも見どころ満載で楽しかったせいか、随分、短かったような気がします。

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