2008年3月19日(水)~20日(木)

イスタンブール(リュステムパシャモスク・ボスポラス海峡クルーズ・テオドシウスの城壁)→アタテュルク空港→パリ空港→成田空港

イスタンブールは世界で唯一2大陸に跨る都市で、ボスポラス海峡によりアジア大陸側とヨーロッパ大陸側に2分されています。更に、ヨーロッパ側地区は金角湾で南部の古代イスタンブール(旧市街地)と北部のバラタ、ベイオール地区に分割されています。
(イスタンブールの地図) ~イスタンブール歴史と旅(小学館刊)より~ 
イスタンブール地図1 

330年、コンスタンチヌス一世によりコンスタンチノープルと命名され、ローマ帝国の首都となり、大きな城壁で包囲され、教会、宮殿等が建てられ、街は大いに繁栄しました。
彼の後継者テオドシウス一世は、二人の息子に帝国を東ローマ帝国と西ローマ帝国に二分割しました。
西ローマ帝国は5世紀末に滅びましたが、東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国軍に征服されるまで継続しました。
このオスマン帝国の征服によりイスタンプールは首都として、その後470年間の繁栄を見ました(1453-1923)。
新たな支配者であるオスマン帝国は、ハギア・ソフィア大聖堂やパントクラトール修道院付属教会、城壁近くのコーラ修道院などのキリスト教の教会をモスクに転用しました。また、古代ビュザンティオン市の跡地にトプカプ宮殿が造営され、16世紀にはスレイマニエ・モスクなど、すぐれたトルコ・イスラム建築が建てられ、さらに17世紀にはハギア・ソフィア大聖堂改めアヤソフィア・モスクと並ぶようにスルタンアフメト・モスク(通称ブルー・モスク)が建設されるなど、モスクのミナレットと大ドームが林立するイスタンブール歴史地域の美しい景観がはぐくまれていきました。
というわけで、イスタンブールは見どころいっぱいの観光都市です。

ところで、今朝も礼拝(サラート)への呼び掛けである「アザーン」で目が覚めましたが、妙に気持ちよく目覚めました(笑)。昨夜も宿泊ホテルが、初日と同じ「テオドシウスの城壁」のすぐ傍のミレット通りのエレシントプカプでしたので、朝からテオドシウスの城壁探検?です。というのは、初日の朝に気が付いたのですが、このトプカプの辺りの城壁内には多くのホームレスの人を見掛けたのです。それでも、城壁の魅力には勝てず、今朝も城壁めぐりというわけです。
(テオドシウスの城壁)
DSC08275

(荒れ果てた城壁)
DSC08404

DSC08415

今日のメインスケジュールは「ボスポラス海峡クルーズ」ですが、まず最初に向かったのは、クルーズの乗り場近くにある「リュステム・パシャ・モスク」です。
すると、途中、水道橋が見えて来ました。ローマ皇帝ヴァレンス帝時代の378年に完成した「ヴァレンス水道橋」で、旧市街のアタテュルク通りをまたぐように、翼を広げた格好で立っています。
(ヴァレンス水道橋)
水道橋

リュステム・パシャ・モスクは、1561年にオスマン帝国のスルターン、スレイマン1世の娘婿の宰相リュステム=パシャのために、宮廷建築家ミマール=スィナンの設計で建造されました。内部はイズニックタイルの青を基調としたタイルで装飾され、一部に16世紀後半の一時期だけ造られたという珍しい赤いイズニックタイルが使われています。現在の技術をもってしても、この色は出ないという逸品だそうです。
(リュステム・パシャ・モスク)
DSC08288

DSC08289

DSC08293 DSC08298


【ボスポラス海峡クルーズ】
ボスポラス海峡の図

「ボスポラス海峡クルーズ」は、リュステム・パシャ・モスクの近くの金角湾に架かるガラタ橋のたもとの乗り場から出航しました。 
船の上から、丘の上に建つスレイマニエ・モスクの姿がかっこいいです。スレイマニエ・モスクは、天才建築家シナンが築いた1557年完成のモスクで、オスマン建築(トルコ建築)の最高傑作のひとつと言われています。
(ガラタ橋たもとのボスポラス海峡クルーズの乗り場・右上はスレイマニエ・モスク)
DSC08307
船はガラタ橋をくぐり抜けていきます。ガラタ橋は上下二層になっており、上層が車道、下層が「名物の鯖サンド」が売られていることで有名なレストラン街となっており、船が通れるのは中央部のみです。
そんな下層部のレストランなどお構いなしに、橋の上では、今やガラタ橋の風物詩ともいえるビッシリ並んだ釣り人が釣り糸を垂らし、船が通過する真ん中だけが空いています(笑)。
(ガラタ橋南側、橋をくぐる前に撮影)
DSC08311

(ガラタ橋南側、橋をくぐった後に撮影)
DSC08312

さて、ガラタ橋をくぐり抜けると右手には旧市街のトプカプ宮殿の正義の塔・ハレムの屋根を始めモスク等が見えます。
DSC08317

一方、対岸には新市街が広がりガラタ塔(写真左奥)も見えます。
DSC08320
そして、船はボスポラス海峡へ入ります。ボスポラス海峡の左側はヨーロッパ側で、右側はアジア側となりますが、船は新市街(ヨーロッパ)側を北上して行きます。
最初に現れるのがドルマバフチェ宮殿を建てたスルタン・アブデュルメジト I 世の皇太后ベズミ・アレムが私財を費やして造らせたドルマバフチェ・モスクです。背後の現代的なのっぽビルとのコントラストが近代のトルコをよく表しています。
(ドルマバチェフ・モスク)
ドルマバチェフモスク

次に現れるのは、「ドルマバフチェ宮殿」です。ドルマバフチェとは「埋立てられた庭」を意味し、スルタン・アフメット1世が娯楽の為の宮殿を建てました。
何度もの火災の後、トプカプ宮殿が時代遅れだと感じたスルタン・アブドゥルメジット1世が1843~56年の歳月をかけて、現在のトルコ・ルネッサンス風の宮殿を建てさせ、1876年まで公式宮殿として使用されました。
宮殿内部は、トプカプ宮殿並みに豪華な装飾で埋め尽くされており、 現在も重要な公式レセプション用の場として使用されているそうです。
オスマン帝国時代が終末を迎えた1923年以降、トルコ共和国初代大統領アタテュルクはイスタンブールを訪問の際、当宮殿に滞在しました。そして、1938年11月10日、ここで57年の幕を閉じています。
(ドルマバフチェ宮殿)
DSC08327

ドルマバフチェ宮殿が見えてから5分程すると、またまた豪華な建物が現れます。スルタン「アブデュルアズィズ」によって建てられたチュラーン宮殿ですが、現在では超高級ホテル「チュラーン・パレス・ホテル」になっています。
(チュラーン宮殿)
チュラーン宮殿

そして前方にアジアとヨーロッパを結ぶかけ橋の「ボスポラス大橋(第一ボスポラス大橋)」が見えてきます。。
橋の近くはオルタキョイと呼ばれる若者の集まるショッピング街になっているようです。
(ボスポラス大橋とオルタキョイ)
オルタキョイ

オルタキョイのシンボルはボスポラス大橋のたもとの「オルタキョイ・モスク」です。このモスクはドルマバフチェ宮殿と同じニコゴス・バリアンが設計し、1854年に完成したものです。
(オルタキョイ・モスク)
オルタキョイモスク

そして、いよいよクルーズの折り返し地点のファーティフ・スルタン・メフメット大橋(通称第二ボスポラス大橋)が見えてきます。
この橋は、日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業(現IHI)や三菱重工業などにより建設され、1988年に完成したものです。
橋の手前には念願の「ルメリ・ヒサール」の姿が見えます♪♪♪♪。
(第二ボスポラス大橋と左手前にルメリ・ヒサール)
DSC08343 

石・石・石といった感じのルメリ・ヒサールは僅か4ヶ月で完成したとは思えない大規模で、圧倒的な威圧感があります。また、その黒ずんだ石が長い歴史を偲ばせてくれるます。本当に大感激で、あらゆる角度からやたらと写真を撮りまくりです(苦笑)。
(ルメリ・ヒサール)
DSC08345

DSC08348

DSC08349

DSC08359

ルメリ・ヒサールは、1452年、オスマン帝国軍がビザンチン帝国のコンスタンティノープルを包囲攻撃し、クリミアのジェノアの中心地から援助品を受けられないように、ボスフォラス海峡を封鎖する目的で、元々あったアジア側の城塞アナドル・ヒサールの対岸のヨ-ロッパ側にスルタン・メフメット2世が築いたものです。海峡が最も狭くなった地点に築かれたこの城塞は、1万人の労働者、1千人の石工職人等によってわずか4ヶ月で完成したといいます。
第二ボスポラス大橋のところでUターンして、今度はアジア側を見ながら戻ります。
ルメリ・ヒサールの対岸のアジア側にはアナドル・ヒサールの小さな城壁と塔が残っています。
(アナドル・ヒサール)
IMG_5718_2[1]

IMG_5719_2[1]

アナドル・ヒサールは、1390年頃、スルタン・ベヤズィツト1世により築かれました。 当時、コンスタンティノープル近郊にあるオスマン建築としては、この城塞があるのみでした。1452年に、スルタン・メフィット2世がこれを拡張し、 ルメリ・ヒサールと共に、海峡封鎖の為に利用したのです。
即ち、この最も狭くなっているボスポラス海峡の両側には、ルメリヒサールとアナドルヒサールが見え、まさに、塩野七生さんの小説「コンスタンチノープルの陥落」の世界を目の前に見ているわけです(*^_^*)。
(ボスポラス海峡を挟むルメリ・ヒサールとアナドル・ヒサール)
第二ボスポラス大橋のところで折り返したあと、振り返って撮ったものです。
DSC08363

第二ボスポラス大橋で折り返してから20分ほどで第一ボスポラス大橋の手前(アジア側)にベイレルベイ宮殿が見えてきます。1865年にオスマン帝国のスルタン「アブデュルアズィズ」が各国の国家元首などの要人たちを迎えるための宮殿で、ここで歓待された賓客の中には、フランス皇帝ナポレオン3世の皇正室ウジェニーやロシア大公ニコライも含まれているそうです。
(ベイレルベイ宮殿)
DSC08364

そして、再び、左手上に旧市街のトプカプ宮殿などを見ながら、クルーズ出航後1時間40分ほどでガラタ橋たもとの乗降場へ戻り、海峡クルーズの終了です。海峡沿いにトルコの壮大な歴史を物語る宮殿や要塞などの建築物が立ち並ぶこのクルーズは見どころ満載で本当に満足しました(*^_^*)。


ボスポラス海峡クルーズ後、一旦、ホテルへ戻りました。空港までのバスまで30~40分ほどあったので、テオドシウスの城壁とお別れに・・・。今度は、いつ会えるのでしょうねえ。
(テオドシウスの城壁)
DSC08406

DSC08413

帰国便もパリ空港経由で成田空港です。成田空港へは、3月21日(金)18:30頃に無事到着しました。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント