宝福寺(ほうふくじ)
画聖雪舟が修行時代の幼い頃に、
涙で鼠を描いたというエピソードで有名な寺
宝福寺三重塔(重要文化財)
総高18.47mのこの搭は、寺伝によれば弘長2年(1262)鎌倉幕府の執権・
北条時頼が寄進して建立したといわれていた。しかし、昭和42年(1967)に行った解体修理の際、永和2年(1376)
の墨書銘が発見され、実際にはもう少し時代が下った南北朝時代の建築であることが確認された。岡山県下では、長福寺(美作市)
の三重塔に次いで2番目に古い三重塔である。

正式名称
井山 宝福禅寺
所在地
岡山県総社市井尻野1968、電話.0866-92-0024
宗派
臨済宗東福寺派中本山
山号
井山(いやま)
本尊
虚空蔵菩薩
開基
日輪
文化財
【重要文化財】 三重塔
拝観
境内拝観自由
写真撮影日
2007/11/17
最終拝観日
2007/11/17
歴史等
宝福寺は創建の年代は不明であるが天台宗の僧・日輪によって開かれたとされ、元来は天台宗の寺院であったが、鎌倉時代の貞永元年
(1232)に備中国真壁(総社市真壁)出身の禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。
鈍庵が四条天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、壇前に客星が落ち、天皇の病気は平癒したという。星が落ちた場所に井戸を掘り
「千尺井」と名付けた。これが山号「井山」の由来となった。その後、寺院は天皇の勅願寺となり発展した。一時は塔頭・学院55、
末寺300寺を数えるほどの巨刹となり隆盛を誇った。
しかし、戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575)には三重塔を残し伽藍のことごとくを戦火により失った。
その後、江戸時代に至るまでの間は荒廃していたが、江戸時代初期に復興され、再び山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・
経蔵の禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺となった。
【雪舟の鼠】
室町時代、備中国赤浜(総社市赤浜)に生まれた雪舟は、少年時代ここで修行を行った。
幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されている。
絵を描くことが好きであった雪舟少年は修行もそこそこに絵ばかり描いていた。
修行に身を入れさせようと禅師は雪舟を柱に縛り付けて反省を促した。
夕刻、様子を見に来た禅師は逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動かなかった。
よく見るとそれは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものであったという。
それ以来、禅師は雪舟の絵を咎めなくなったといわれている。
『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より』
現況・感想等
雪舟の鼠の絵のエピソードで有名な宝福寺は、地方には珍しいほどの巨刹で、山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・
経蔵など七堂伽藍を備えている。
また、紅葉の名所でもあり、境内のあちこちに、三脚を持った多くのカメラマンがいた。
(2007/11/17訪れて)
ギャラリー
方丈
凡そ230年前の建築で、東西25m、南北16mの大殿は山内で第一の大きさである。
雪舟が小僧時代に柱に縛られて涙でネズミの絵を描いたというエピソードはこの堂内でのことである。しかし、天正3年(1575)
の備中の兵乱の際に方丈は焼失し、雪舟が縛られたという柱は現存していない。その後、2度にわたって復興したものが現在の方丈である。
紅葉
宝福寺は、紅葉の名所でもあり、多くのカメラマンが来ていた。
